京都 町家の草木

茶の木

茶の花
チャノキ【ツバキ科ツバキ属】  茶園では決して花を咲かすことはない茶の木だが、庭では六弁の白い花にふさふさと雄しべを広げて秋から師走にかけて次々に咲く。ちょうど南座の顔見世も気になる頃ゆえ、そのこんもりと豊かな雄しべを見ると歌舞伎十八番「菅原伝授手習鑑」の寺子屋の場面に登場する松王丸の髪の形が頭をよぎる。
 枝には雫のように下がる小さな丸い蕾が順番にいくつも並び、花も下向きに咲くところは椿と趣を違えるところ。
 お茶どころとして名高い京都宇治。江戸の終わり頃、この地に茶園を持つ家の娘と縁があった。名は小枝(さえ)。おさえさんは六代目の妻となり、後に実家の茶業は当方が副業として引き受け今でも親戚が宇治木幡でその製茶業を営み続けている。
 先祖のこうした経緯や西本願寺の直門徒として茶道藪内流に親しんできたこともあり、ひと椀のお茶をいただく習慣は一日のお十時、お三時と欠かさず受け継がれてきた。常使いの茶碗、棗、茶杓、茶筅を仕舞う茶箱はもうすっかり傷だらけで年季の入りようは一目瞭然。朝な夕な「お薄え~」と家族を呼ぶ声が聞こえるとみんなお台所へ集まってくる。茶箱のふたを開ける音が聞こえただけで仕事の手を休めることもある。こうした平生のひと椀は「おヤカン点前」。作法もなにもない。ただ美味しい薄茶の味と香りを確かめて一息つく。長年木幡の製茶に従事してきた親類で隠居生活をしていたおじちゃんにお薄を点ててさし上げることなどあると、舌の上で茶の味を吟味して一言「ちょっと(茶を挽く)石臼の目が荒うなってきてるな」なんて言うこともあって、ちょっと他所では聞けない。
 明治期には京都双岡(ならびがおか)にも茶園を持ち、かなり力を入れて製茶業を営んだこともあった。双岡は丘を三つ並べたような地形。そこでこの茶園は「三丘園(さんきゅうえん)」として茶道藪内流(やぶのうち)のお家元にも親しまれていたと聞く。
 今は昔の語りぐさ。
2009年12月11日 11:28 |コメント1
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絵:杉本歌子 プロフィール
1967年2月13日、京都生まれ。京都芸術短期大学美学美術史卒。現在、京都市指定有形文化財となっている生家の維持保存のため、財団法人奈良屋記念杉本家保存会の学芸員・古文書調査研究主任に従事。植物を中心にした日本画を描いている。画号「歌羊(かよう)」。

受け継いだ京の暮らし 杦庵の「萬覚帳」

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コメント

 初秋から冬にかけて、あちこちで茶の花を見たことがありました。やわらかい香りと優しそうな花でした。
 今は、少なくなってしまいましたね。昔の農家は自給用に茶も植えておられたのですね。
 子どもの頃、ミツバチのように茶の花に誘われたものです。

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