「沖縄と基地のことを学んだ僕たちは、米軍のオスプレイ配備に無関心ではいられない」―沖縄への研修旅行(3月)で、普天間基地(沖縄県宜野湾市)の実情を学んだ京都橘高等学校(京都市伏見区)の生徒(2年生)たちが、同機配備計画に反対する沖縄県民の取り組みに心を寄せ、行動へ一歩足を踏み出そうとしています。

平和学習の一環毎年沖縄に

オスプレイ オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会(5日開催が台風のため延期)を前にした3日。同旅行の学習・交流係となった生徒らと担当教諭、汐崎啓子さんが教室に集まりました。
 汐崎先生は話しかけます。
 「オスプレイって知っている? 10万人の県民反対集会が、研修旅行で行ったあの宜野湾市であるのよ」
 辻優貴君、尾保手(おぼて)啓太君が答えます。「知ってますよ。オスプレイもテレビで見ました。あんな危険なもの不安です」
 同高校では1982年以来、平和学習の一環として毎年、1年生の締めくくりに沖縄研修旅行(3泊4日)を実施してきました。今年のテーマは普天間基地です。

オバマ大統領に手紙を送ろう

基地の怖さは想像を超える

 京都橘高校の沖縄への研修旅行の主な内容は○米軍ヘリコプターが墜落事故(2004年)を起こした沖縄国際大学の学生との交流○同大学のすぐ側の普天間基地見学○石川市(現うるま市)宮森小学校に米軍機が激突した事故(1959年6月30日)を題材にした演劇「フクギの雫(しずく)」の鑑賞─です。6クラス・230人が参加しました。
 旅行に先立ち、なぜ沖縄に基地が集中しているのか、基地被害の実情を新聞記事を集めてレポートを作成したり、映画や証言集から沖縄戦について学んできました。
 平野紗友理さんは「実際に見た普天間基地の怖さは想像以上でした」と言います。
 同大学の屋上から見た基地は、大学から6メートルしか離れていません。案内した学生が説明する20分ほどの間に、ジェット機がごう音を上げ3回も飛び立っていきました。騒音のせいで、難聴の人もいると学生から説明を受けました。
 「沖縄の人たちは、毎日こんな中で生活していると思うと心が痛みました」と平野さん。
 鳥居南(とりいみなみ)早織さんは初めて知った宮森小の事故と同劇が忘れられないと言います。事故は、200人を超える重軽傷者が出た大惨事。米軍は事故原因の究明や被害者への補償も十分に行いませんでした。地元の演劇集団が「米軍の姿勢は今も変わらない。事件を風化させてはいけない」と遺族らの聞き取りをもとに劇を作成(2009年)しました。
 鳥居南さんは「黒こげになった子どもたち。母親の嘆きのシーンから、沖縄の人の悲しさが伝わってきて、涙が出ました」と話します。

学んだことを伝えて行く番

 汐崎先生がみんなに提案しました。
 「オスプレイが配備されれば、大事故が起きるかもしれないね。米国のオバマ大統領にあてて英語で手紙を送ろうか」
 宮森小事故が起こった同じ日。森本防衛大臣がオスプレイ配備の地元「説得」のため沖縄を訪問しました。遺族や市民から「宮森の悲劇を繰り返すのか」と怒りの声が上がっていました。
 生徒たちは、劇の中のせりふを思い出しました。
 基地の問題に、「無関心でいいのか。私とあなたが声を合わせれば、何かができる」
 2年生みんなに、一言メッセージを書いてもらう相談を始めました。
 生徒たちは「沖縄で学んだことを今度は、ぼくたちが伝えて行く番」と話します。(「週刊しんぶん京都民報」2012年8月12日付掲載)