公明党の連立7年半
 日本の侵略戦争を「正しい戦争」とする「靖国」派が政権中枢を固めて、憲法改悪へとひた走る安倍政権。自民党と連立して7年半、創価学会と「政教一体」で「悪政戦犯」の役割を果たしているのが公明党です。
ブレーキ役」どころか、悪政の「アクセル」
 「ブレーキ役として言うべきことはきちんと言い、毅然(きぜん)とした対応をする」。自民党が圧勝した05年衆院選の直後、公明党の神崎武法代表(当時)が全国県代表協議会 (05年9月17日)で述べた言葉です。
ところが今、公明党は「自民党の暴走にブレーキを踏むような振りをして、アクセルを踏む」(5月25日、京都市内で志位和夫・日本共産党委員長)役割を果たしています。「年金のため」と言って公明党が提案した定率減税の廃止など庶民大増税は、その象徴です。
 各市町村で住民税増税の通知書の発送が始まり、さっそく、大幅な増額に驚いた住民から「通知書がきているが(税額が)倍くらいになっているのはどうしてか。確認したい」「夫が難病で通院しているんです。高齢者をいじめる政治はやめてほしい」との声があがっています。
 公明党がこれまで言ってきたことは何か―。
 「我々のマニフェストの中で、年金課税の創設、定率減税の廃止と具体的に提案しているわけです。ほかの党では、ないんじゃないですか、 そういうことを具体的に言っているのは」(冬柴鉄三・前幹事長、 03年11月25日の衆院予算委)
 「(年金課税について)現役世代からの収入だけでやっていくのでなく、やはり高齢者にも可能な範囲で負担をお願いしてやっていくことは大変大事だ」(北側一雄・前国土交通相、 05年3月4日の参院予算委)
 まさに、「うち(公明党)がいいだしぺ」「増税戦犯」(「東京」 04年12月16日付) です。
「手厚い対策を実現」と自慢するが…
 「高齢者、障害者…に手厚い対策が実現」。公明党が、「運動方針」(06年9月)で、「政権入り」して実現したと強調している内容の一つです。しかし事実は逆さまです。
 05年に自民・公明両党が強行した障害者「自立支援」法は、障害者が生活するために必要な福祉サービスに原則1割の「応益負担」を導入。障害者の施設からの退所、施設の収入減・経営難を広げ、障害者の自立を阻害しています。公明党は、この応益負担導入を「サービス利用の状況に応じて負担をしていただくのも、一つの公平性」(福島豊・衆院議員)と容認。「自立支援」法を「ぜひとも成立させる必要がある」(同氏)と主張しました。
 これに対し、日本共産党の井上さとし参院議員は06年6月、独自の実態調査にもとづき、政府に調査と制度の見直しを要求。当初、「実施から3ヵ月たってない。見直すという段階ではない」とした小泉首相(当時)に、「実態を含めて調査する必要がある」と約束させました。これを受けて、厚生労働省は06年末、「応益負担」の原則は変えないまま、負担上限額を引き下げるなど、総額1200億円の改善策を示さざるをえませんでした。
 また、自民・公明両党と民主党がそろって強行した介護保険法の改悪は、特別養護老人ホームや老人保健施設の食費・居住費を全額自己負担とし、 全国で介護難民と呼ばれる施設退所者を生みだしています。公明党は、食費・居住費の負担導入を「必要な改革」(高木美智代・衆院議員)と押し切りました。
 これに対しても、日本共産党は全国で独自の軽減施策を要求。今では全国555自治体で介護保険料の独自減免が行われています。
○公明党の与党入りで毎年「悪法」が成立
02年 健保本人の3割負担
03年 労働基準法の改悪
    有事3法成立
04年 定率減税の廃止
   年金制度の改悪
05年 障害者「自立支援」法成立
   介護保険法の改悪
06年 教育基本法の改悪
   「防衛省」法成立
07年 改憲手続き法成立
イラク戦争をあおった反省なし
 公明党は政権入りを前後して、周辺事態法、テロ特措法、有事法制と、日本が「アメリカと海外で戦争をする」ための法整備を実質的にリードしました。
 03年のイラク戦争では、冬柴鉄三幹事長(当時)が、開戦前から繰り返し「スプーン1杯分で約200万人の殺傷能力」などと大量破壊兵器の脅威をあおった上、反戦行動について「利敵行為」と非難、敵視しました。
 米英が攻撃を開始すると、神崎代表(当時)は「ただ口で反戦反戦、平和平和と叫んでいても、本当の平和は構築できない」と開戦支持を表明。イラク・サマワを電撃訪問し、 わずか3時間余の視察で安全宣言を出し、自衛隊派兵にお墨付きを与えました。
 10万人以上のイラク国民が犠牲になり、大量破壊兵器も見つからず、ブッシュ米大統領でさえ情報の誤りを認めた現時点でも、公明党は口を閉ざしたままです。イラク戦争をあおった反省はまったくありません。
 また、公明党は、自衛隊の海外派兵を本来任務に格上げする「防衛省」法の審議入りを、教育基本法改悪に応じることとあわせ、「児童手当拡大」の実績づくりと裏取引したと報じられ、「余りに筋違い」(「朝日」 05年12月7日付)と批判されています。
突出する京都での「政教一体」選挙
 「創価学会を支持母体とする公明党が政権与党にいることや、自民党のほとんどの議員が学会票に依存していることは、 憲法の禁ずる政教一致ではないのか」「自民党は公明党に飲み込まれた」「自民党が公明党の意のままになっている状況」。「週刊現代」6月23日号は、「緊急レポート」として、公明党と創価学会の 「政教一体」 ぶりと、この集団の意のままになる政党が政権を担っていることへの警鐘を鳴らしています。
 この「政教一体」の異常な実態は、2000年京都市長選挙以来、府民が選挙のたびに体験しています。
 00年京都市長選。山名靖英府本部代表(当時)は、「もうすぐ市長がお見えになるので、 ぜひ三色旗を元気いっぱい振っていただきたい」(00年1月24日、北区・京都パストラルでの桝本頼兼候補の演説会)と呼びかけ、「北区から共産党をぶっつぶす。京都から追い出すたたかいを」と絶叫しました。
 また、2月5日の中久世中学校(南区)の演説会では、三色に塗り分けられた扇子をもった「桝本侍」が、「民主市政の会」の井上吉郎候補をもじった赤鬼「鬼血」郎を退治する寸劇まで行いました。さらに同市長選では、「日本共産党 一党独裁がビジョンです」などと大書きした、反共ビラが連続して配布されました。
 以降、一連の選挙では、公明党・創価学会が府内各地で、ハンドマイクや宣伝カーで正々堂々と政策を訴える日本共産党の運動員を取り囲んで妨害をするなど、無法をエスカレート。選挙を汚す横暴・無法を繰り返しています。
 「創価学会選挙」の陣頭指揮をとるのが池田大作名誉会長です。
 さきのいっせい地方選後半戦直後の「聖教新聞」(4月24日付)の青年部座談会は、「統一地方選の後半戦も全員当選 完全勝利 各党派別の当選者数で公明党が第1党」の大見出しをつけ、「これも、ひとえに池田先生が陣頭指揮を執ってくださっているおかげです」 と、創価学会と公明党の「政教一体」選挙を認めました。
 また6月、「聖教新聞」は、「永遠の常勝関西を讃う」との池田氏の「詩」を2回にわたり掲載(6月8日付、10日付)。池田氏は「新たな『平和の文化の都』を 誇りも高く堂々と建設してゆく 憧れの京都の盟友たちよ!」「おお関西! 全世界が見ている。 全民衆が仰いでいる。 人類の未来が待っている。 大関西の池田門下が築きゆく 二十一世紀の常勝の城を!」と「激」をとばしています。
 創価学会はこれまでも、公明党国会議員に対し、「議員になれたのは、誰のおかげだ。お前たちの今日があるのは、誰のおかげだ。すべて学会のおかげではないか」(「聖教新聞」 05年9月29日付、青木亨理事長=当時)と公言してきました。
京都を「創価の都」にしていいのか
 公明党が政権中枢に入り、日本の政界にさらに手を広げる上で、京都は焦点の一つになっています。
 99年9月3日、「京都創価学会」は、「世界京都宣言」を発し、「京都革命開始」の大号令をかけました。
 「私たち京都同志は、『威風堂々の歌』とともに、千年の歴史の都に、幾多の困難を乗り越え、 妙法広布の道を切り開いてきた」
 「『京都の広布は世界の広布』 との気概で、『創価の都』の歌声も高らかに、猛然と『京都革命』を開始した。新世紀を目指す今、『京都 京都 大京都』との師の熱き思いを胸に、次の三点を全世界にむけて宣言する」
 「いかなる魔の勢力とも敢然と戦い抜き、世界に誇る関西魂で、『常勝の都・大京都』 を築くことを誓う」
 大号令は、さまざまな文化人、知識人や宗教者が集まり、職住近接で平和共存するまち京都を、創価学会の拠点の一つに変えようとする野望です。この野望は、いま自民党だけでなく民主党をも取り込もうとする企てとなって現れています。
 日本共産党は「今度の参議院選挙、日本の顔・京都の良識をあつめて、公明党・創価学会の企みを打ち破ろう」と呼びかけています。
○自民も民主も“公明党・創価学会だのみ”
◆「(公明)党府本部代表の角替豊は5月以降、会合などで接触した(自民党)西田(昌司・参院京都選挙区予定候)から非公式に支援を打診された」(「京都」07年6月5日付)
◆01年の参院選で、松井孝治(民主党参院京都選挙区予定候補) 陣営が、 「『公明党の一部が支援してくれる可能性がある』(党幹部)との期待が出ており、公明党への働きかけを強め(る)」(「読売」 01年7月17日付)
(「週間しんぶん京都民報」07年6月17日付掲載)