10年秋の京めぐり 府立学校退職教職員日本共産党後援会は2日、「10年秋の京めぐり」を舞鶴市内で開催。地元舞鶴市在住の後援会員を中心に、南山城地域、京都市内から与謝まで府下各地からあつまりました。
 同会の京めぐりは毎年、府下に散在する会員の故郷を巡回しながらの学習会で講師は地元を代表する研究者でもあります。今回は晩秋の舞鶴を訪問。開会挨拶で同会の金加行雄副会長は「今は城陽市に住んでいますが、私はこの会場近くの旧制舞鶴中学で学びました。戦争末期にはB29が低空飛行して無数の機雷を舞鶴湾内に投下している情景や、沈没してマストなど残した浮島丸などの情景を今も鮮明に覚えています。機雷は本来、潜水艦からの防衛のために船から投下します。それを飛行機からです。つまり湾内で日本の船が身動きできないようにしていたんですね」などと当時を回顧しながら、今日の平和を守る闘いの意義を強調しました。
 学習会は「浮島丸事件について」と題して地元の「浮島丸殉教者を追悼する会」の余江勝彦会長と、妻で府高後援会員の美穂子さんが講演。貴重な研究資料や紙芝居、プロジェクターなどを駆使しての講演でした。
 余江美穂子さんは何年もかかって制作し最近完成した紙芝居「うきしままるじけん」を上演(写真)。紙芝居では、8月15日の終戦から9日目の24日午後、舞鶴湾に入ってきた船が突然轟音とともに爆発。沈みながら進む船や数千名が甲板から海に落ち、重油が流れ出して真っ黒な海の惨状をリアルに伝えます。唖然と見つめる村人。「なにしとんのや、私の息子も南の海で死んだんや、早よ行って、助けてやって!」と叫ぶお婆さん。出せるだけの船で救助に向かう村人や陸では油まみれの体を洗い、サツマイモを蒸かすなど地元の人たちの必死の救助活動が描かれています。
 紙芝居は「どうして何千人もの朝鮮人労働者とその家族なのか、どうして青森下北半島からなのか、下北半島での重労働は何だったのか、どうして釜山直行でなく舞鶴に立ち寄ったのか」と真相と究明を訴えました。
 第2部は余江勝彦さんが映画「浮島丸事件」を完成させ、韓国各地で上映運動を展開した記録のDVDを解説を話しながら同映画を上映。余江氏は、韓国の人たちに事実を訴えながら苦労を重ねた上映運動と交流、若者たちに歴史の真実を知らせることこそ本当の友好であり、平和の関係が築ける確信を語りました。そして、日本政府はいまだに事件解明はしていないことを訴えました。
 受講生からは、事件究明の研究と聞き取り調査活動や韓国の人たちと交流を深めている余江夫妻に大きな激励の拍手が送られました。(仲野良典)