京の地酒

HOME蔵元ぶろぐ > (6)京の名水の恵み─佐々木酒造・2

蔵元ぶろぐ

(6)京の名水の恵み─佐々木酒造・2

07年12月04日(火)│執筆者:佐々木酒造・佐々木晃

 たまたまうちの蔵は、むかし豊臣秀吉が自分の家として建てた聚楽第のあった南端にあるんですが、秀吉がこの場所に聚楽第を建てた理由の一つとして「水の良さ」があったそうです。秀吉は茶道が趣味で、各地で茶会を開いていますし、聚楽第の敷地の中に千利休の茶室付きの家を建ててやって、そこで一緒にお茶を楽しんだ、という話も残っていますので大昔から水のよい地域であったことは確かです。
 関西大学の楠見教授の調べでは、京都の街の下にはラグビーボールを横向けで水平に切ったような形で、縦が33キロ、横が12キロ、一番深いところで水深800メートルの岩盤で出来た水瓶があるそうです。
 京都は三方を山に囲まれた盆地になっていますので、それぞれの山の岩盤を伝って地中に潜り込んだ水がその水瓶に溜まっていく形状になっているんです。また、普通ならそのまま海へ流れてしまうところなのですが、この京都の水瓶には出口が南西の天王山と男山の間の辺りに一本あるだけなので、少しずつしか流れていかない、という水の溜まる条件が揃っているんです。この水瓶には琵琶湖の水量の約8割の水が蓄えてられると楠見教授が発表されています。世界的に見てもこんな地形はめずらしくて、1000年もの間、都が京都に置かれたのはこの類い希なる地形、そしてこの豊富な水があったのが大きな理由だといわれています。
 現在でも良質で豊富な地下水は変わりなく、小川通りに並んでいるお茶の家元などはもちろんのこと、豆腐や湯葉、生麩など、水が命の産業はいまも洛中には多く残っています。

 「京都の商売は儲けることよりも続けることを考えろ」とか、「京都の老舗は100年150年は鼻たれ小僧、300年続いてやっと一人前」なんて言われます。
 うちの蔵は創業120年程度ではありますが、せっかく代々続いてきた商売ですし、酒蔵というのはまず新しく始められる商売ではありませんので、なんどか残していきたい、せめて次の代までは残していきたいと思っています。

 それに、こんなに水のいい場所でお酒造りができるということは本当に有難く、自然の恵みに感謝しておりまして、このすばらしい水の出る限りは頑張って続けていかなければ、という気持ちです。



この記事へのコメント

秋田に住む者です。
二年ほど前、
京都旅行の途中に立ち寄って一本購入いたしました。

蔵之介さんのご実家なのは知っていましたが、
あくまでもお酒の購入客としてお邪魔したので
あえて触れずにお酒を選ぶ話のみをしました。
でも…お母さんも弟さんもそっくりですね!

肝心のお酒ですが、
実は私は飲めない体質なので
ちょびーっとだけなめさせてもらって決めて
(飲めない人のほうが酒の違いに敏感らしい)、
父へのお土産にしました。

秋田も酒処ですが
父は佐々木酒造の酒のほうがウマイと言っていましたよ。
また機会があればお店にお邪魔しますね。

晃さんって俳優のお兄さんより男前だね、って今週の民報見ながら話をしていました。
日本酒ってもっと見直されてもいいと思う。吟醸酒がいろいろ出るようになって、洋食にも合うチョイスができますよね。
淡麗辛口が今の主流ですが、たまには濃醇な日本酒も飲みたいときがあります。