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【20】橋浦泰雄と蓮仏亨

2009年3月11日 15:25

 橋浦も大月源二とともに山宣のデス・スケッチを描いています。橋浦のタッチは日本画(墨絵)、大月の物は洋画(油絵)タッチです。橋浦は富岡鉄斎を師事する事を望んだのですが、鉄斎は弟子を取らない方針であったため、その夢は実現しませんでした。大月、橋浦の2人に共通するのは戦中期を生き抜いて、戦後も文芸運動の分野や解放運動のために変わらぬスタンスで貢献した事です。
 さて、橋浦と同郷に宇治山宣会顧問の蓮物亨がおります。「鳥取山宣ツアー」の実施の際のプランづくりなど、公私ともども様々な面でお世話になっています。蓮物の伯父の重寿は橋浦泰雄と親交がありました。蓮物亨は、橋浦の息子の赤志と鳥取の旧制第2中学校の同窓生でした。赤志からの手紙でデス・スケッチを発見したので「貰ってもらえますか。亡き父も喜ぶだろう」といわれ、「橋浦泰雄作の山宣のデス・スケッチ」を花やしき山宣資料館に持ち帰りました。死後から67年経ていたのですが、一目見た山宣の娘の故・治子は「あっ、パパや」と叫びました。
 橋浦泰雄は日本プロレタリア美術家同盟(PP)の中央委員長でした。同時に民俗学に造詣があり柳田国男の信任を得ていました。多面的な活動家であり、戦後は生協の創立にもかかわっています。なお、橋浦泰雄の民族的自伝とされる『五塵録』は当時の社会状況も学べ、橋浦家の兄弟たちの活躍もよく分かります。
 前述の「鳥取ツアー」は、山宣会で実施しました。片山潜記念館、鳥取の演説会が行われた大黒座(コピーのスケッチは草刈司氏作)などの関係地を見学しました。このツアーにカナダのヴァンクーヴァーから参加されたゴードン門田も出身地が近くであったことから参加されました。ゴードンとは佐々木敏二とともにカナダに行く際に会い、情報交流や旅の便宜を図って頂きました。
 鳥取ツアーでは、山宣3男の浜田繁治が「山宣と千代のこと」と題して話しました。山宣の妻の千代にスポットが当たる事がなかっただけに繁治の話は意義深いものでした(詳細は宇治山宣会会報『山宣』9号)。

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