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【21】郭沫の揮毫とその解釈

2009年3月11日 15:30

200903-21.jpg 山宣は時の政府・田中義一内閣の略に反対する対支非干渉同盟の中国視察団の団長に選ばれていて、中国大陸への侵略に反対する運動の先頭に立っていました。そのため予防検束で1週間も宇治署に拘留されました。
 郭は日本の九州で学生生活を送り、その後北伐に参加し抗日戦争にも加わります。日本への亡命生活を余儀なくされ千葉に身を隠して研究生活を送りました。
 1959年に西口克己原作・山本薩夫監督の「山宣」の映画化が山宣没30周年を記念して始められました。大阪総評の呼びかけによる全関西の自主製作運動ですが、こうして「武器なき斗い」(後述)が作られましたが、関係者によりますと製作費の4、5千万円は大衆カンパによって集められましたが、赤字となってその埋め合わせのために、ソ連と中国に出来上がったフィルムを送り、大口カンパを訴えたそうです。
 その結果、その映画を観て感激した郭は前述の山宣を称える五言律詩を書き、花やしきに送ってきました。山宣と郭は日本の侵略戦争の迫り来る中で活動した同時代意識で結ばれていたのでした。
 郭の律詩は大山郁夫の揮毫・「山宣ひとり孤塁を守る、だが私は淋しくない。背後には大衆が支持しているから」を踏まえたものです。翌年の墓前祭に山宣の長男・英治さんがその経緯を報告しています。

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