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山宣の性教育の源流をイギリス・ドイツに訪ねた旅行記〔3〕

2007年6月29日 18:53

Ellis in Mist(霧の中のエリス)
 この日はあいにく悪天候。観光案内所そして博物館に向かうが途中で隊列が乱れた。その日、日曜日で博物館が休み、見学は翌日となる。館では船員の写真がかなりのスペースを占めていた。エリスの父、祖父とも船長だったからエリスの写真があるのではと期待したが、1枚も無かった。カービス入江の海辺は霧の中、「ああ、エリスにとってカービス入江は安住の地ではなかったのだ。それでサフォークス州のヒンテルシャームへ移らざるを得なかったのか」。ヴィクトリア朝のイギリスは性タブーが強く、その影響のためか、エリスの存在はイギリスにおいても評価がされないのだ、日本でも然り。
 トレゲナーキャッスルホテルは館(やかた)跡らしい。このホテルはこの英独の旅の中でいちばん良かった。スペイン艦隊が来たとき狼煙(のろし)でロンドンへ知らせたと説明されて納得する。この海岸はイギリス人にも人気の地で海水浴シーズンは混むと言う。雨の中、足にハンデーのあるNさんと2人で本隊から振り切られたためキャッスル・ホテルを目指した。Nさんは元気だ、旅の途中弱気の私をしばしば励ましてくださった。
 戻ったロンドンでは自由行動の日、私は疲れも出たのでヒンテルシャーム行きを諦めてピカデリー広場のポートレイト・ギャラリーにあるとされるエリスの肖像に会いに出かけた。4階から下の階へと進んだがお目当てには会えなかった。2度と3度とフロアーを探したが無駄だった。最初、受付の案内で聞いたPCの検索通り「エリスのものはありません」でした。さすがに疲れメニエル症状が出て、館前で動かれず暫しじっとしていた。

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