奥伝は一気呵成(かせい)に

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 小学五年の時に父に買って貰った角川漢和中辞典を、未だに愛用している。当座は嬉しくて、毎日学校へ持っていった。教科書に出てくる漢字を引いては、片っ端からノートに書き写していった。友達に見せびらかしていたのだが、とにかく重い。一週間で挫折した。
 その辞典の付録に、中国芸能図が載っている。歌舞伎の隈取りによく似た臉譜(れんぷー)が面白くて、飽かずに眺めたものだ。どうやら隈取りはここから派生したらしい。
 初世市川団十郎の荒事の隈は、仏像の怒りの相から案を得て進化したといわれる。美しさの極みは、むきみ隈である。歌舞伎十八番の「助六」や対面の「曽我五郎」の荒事立役に代表される描き方がそれである。目元から眉にかけての筋のみの隈で、単純であるがゆえに若さと色気を際立たせて匂うようだ。隈取りの種類は百を超えるそうだが、大まかに言って、紅隈は正義つまり善人(ええもん)藍色や代赭色は邪悪つまり悪人(わるいもん)に分けられる。そう、なんでも見た目ですぐわかるようにできているのが歌舞伎の愉快なところである。
 江戸中期の山中平九郎は、隈取りの工夫を凝らした歌舞伎役者として名高い。紅と青黛で鬼女の顔を作ったところ、女房がそれを見てあっとばかり気を失い、二階から転がり落ちたという逸話がある。隈取りは顔の影を誇張して牡丹花の如くぼかすことで、一度見たら忘れられない歌舞伎の象徴になっている。
 この化粧方のコツを伝授しよう。まず筆を使って、チマチマと描いてはいけない。筆は一見きれいに見えるが、隈は死ぬ。自分の顔の骨組を熟知し、筋肉を立体的に象(かたど)るのが基本。指先を使い、ばばっと一気呵成にぼかすほど舞台映えがすると聞いた。遠目の美学がここにある。(挿絵・川浪進)

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08/05/27│歌舞伎のツボ│コメント2

コメント

春香さんは角川だったんですね~。
そうか、私は岩波の国語辞典が宝物でした。

ところで何でも観たらすぐ判る!
現実でも顔色で内面は解りますね。
いえ、いいもんとわるもん(とこちらでは判別します)はひとりの人間の中で渾然一体となっていますが…。
楽しいか苦しいか、隠そうとしても解ります。
それと骨格を考えて一気呵成に!
面白いですね~。
川浪画伯の隈取り、ぼかしの技術も最高です!!

お春さん

あら、はずかしや---

初め、何のお話か分からなかった。
なんせ、「隈取り」を「すみとり」って読んだものですから....。ウフフ。
お化粧のお話だったんですね。

舞台で目立つために、ぱぱっと一気呵成に指先で描くのですね。ぱぱっとですね。ウフフ。

私も、一度お春さんに隈取りを、勿論藍色でやっていただこうかしら?
その姿で教壇に立てば、私語で喧しい学生達もシーンとなるかしら?ウフフ♪

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