しっぽが欲しい

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 片岡愛之助に注目したのは、仁左衛門の吹替えをした時だった。「新口村」で本物の忠兵衛と見紛うほど似ていた。いや似ていたどころではない。顔といい姿といい、あまりにそっくりで思わず番付を見直したものだ。眉宇に漂う憂愁は仁左衛門の専売特許とばかり思っていたので、嬉しいため息がこぼれた。
 さて「妹背山婦女庭訓」の四段目「三笠山御殿」は、古代幻想に江戸の庶民の憧れをうまく織り込んだ、スケールの大きい芝居である。鱶七、求女、橘姫がお三輪の悲恋を構成するために御殿にたぐり寄せられる。この展開はギリシア悲劇を見るようで、江戸の中頃に近松半二はよくこんな人形浄瑠璃を作ったものだと感心してしまう。えらい。ことに鱶七は、エウリピデスの得意とした悲劇的結末を収斂するデウス・エクス・マキナとしての登場であるから、ただの忠臣ではいけない。
 愛之助の鱶七は、世話から時代に変わる技術はうまい。しかし世話という現実世界から時代という超現実世界へ飛び移るには、小手先の技巧ではなく、もう一つの何かが必要である。たとえば、底の知れない古井戸を覗き込むようなゾクリとする恐怖感とでもいったらいいだろうか。大詰、お三輪に刀を突き立ててから、「女喜べ、それでこそ天晴れ高家の北の方」云々という台詞には、芸風の大きさと壮者の男振りが渾然一体となっていてほしいのである。愛之助はこの呼吸を、頭でやりくり算段している。そこが不満。このまま小さく固まるのは避けたい。
 芸風が大きいとは、舞台という額縁にぴたりとはまる量感を具えていることである。
 器量が大きくなってほしい。刮目させるような骨格の太い芸を身につけてほしい。そのためには、たとえしっぽでも増やしてもらいたいと願うばかり。(挿絵 川浪進)

※エウリピデス(前484─前406)
アイスキロス、ソフォクレスと並ぶ古代ギリシア三代悲劇詩人の一人。代表作に「メデイア」「トロイアの女」など。
※デウス・エクス・マキナ
「機械仕掛けの神」の意で、エウリピデスの考案した古代ギリシアの演劇技法。終幕に神が舞台に降りて、劇中の対立などを収拾させる役割をいう。作為的に行われる大団円。泉鏡花の「天守物語」もこの作劇方による。

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08/04/28│歌舞伎のツボ│コメント2

コメント

お春さん

今週はちと難しい!
「三笠山御殿」がそもそも難しいのだ!求女というから女性かと思いきや、これは男性。蘇我入鹿や藤原鎌足の時代のお話だから、難しいのか?!

「世話から時代に変わる」とは一体どういうことか?「世話という現実世界から時代という超現実世界へ飛び移る」とはどういうことか?

お春さんの博識には又脱帽!お春さんのスゴイ表現にも脱帽!
「底の知れない古井戸を覗き込むようなゾクリとする恐怖感」
「芸風が大きいとは、舞台という額縁にぴたりとはまる量感を具えていること」等々。  こういう表現はさすがお春さん!ゾクリとしますよ!

片岡愛之助さん、綺麗な人ですよね。お春さんの彼への「大きくなって欲しい」という願いは、よおく分かりやした。

芸風の大きさと壮者の男振りが渾然一体となっていてほしい---

ちと、先週の欧州サッカーのある選手を思い出しました。FWといっても只ゴールの前で突っ立っていたって、ダメ!自らチャンスメイクし、守備もし、フィニッシュを決める。こういうストライカーこそ、全日本にも欲しいものだと思いやした。たとえ、しっぽをつけてでも!

春香さん

奥が深いお話しですね~。
休日に『消えた直木賞』という本を読みました。
もう読めなくなった古い直木賞作品を集めたものです。
ひさしぶりに戸板康二さん、『團十郎切腹事件』(昭和三四年下半期)を読みつつ…。
そうだ!春香さんには是非、歌舞伎時代小説を書いていただかねば。
いかがでしょうか?
いや、もう書いておられますか?

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