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【37】白金台の徳太郎さん

2009年5月27日 11:36

思い出す人々 私が安田徳太郎を知ったのは高校時代で、山宣より早くその名前を知っていました。フックスの『風俗の歴史」という緑のシリーズでした。叔父、叔母の影響で高校時代には社会問題研究部に属し、安保反対運動のデモ行進に出ましたし、原水爆反対の署名運動に参加するなど社会的には進んでいました。
 しかし、性については奥手でした。でも、その『風俗の歴史』にはびっくりしつつ興味津津でこっそり見ていましたから、安田さんのお名前は忘れることができませんでした。大学では科学史に関心を寄せ、その雑誌を読み、同志社に来た時その学会に入会して工学部の島尾先生にご指導いただきました。ここではダンネマンの『大自然科学史』全巻を読みましたからかなり思い入れがありました。

 さて、白金台の安田さん宅へは、初めは井出美代・武三郎ご夫妻のご案内で伺い、その後は東京に出る度にご都合をお聞きしてお邪魔しました。まず、お聞きしたのは戦後に出版された『山宣選集』の2巻がどこを探してもありませんでしたから、その事でした。性タブーがあり、新興出版社は企画したが、上からの指示で印刷できなかったと。
 従弟であり、花やしきで生活を共にしており、一貫して反戦平和、庶民の味方であり、山宣とは真の同志であったのが安田さんでした。
 奥さんの光代さん、娘の朝子さんともども山宣と「花やしき」の人々、江戸末期から明治維新にいたる京都の歴史、安田家の人々(タネ、トキさんをはじめ御兄弟)の事まで折に触れてお聞きしました。私の関心が科学史にあり、理科の教師であり、「科学史学会」の会員でありましたので、性教育や科学史関係からアプローチした「安田徳太郎伝」を考えたことがあります(「山宣研究」6号、8号)。しかしこれは大それたことでした。ご本人の『思い出す人々』(青土社)があり、その後に、娘さんの朝子さんの『父母の青春』と長男編集『安田徳太郎選集・20世紀を生きた人々』が出版されました。

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