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山本多年の和歌〔4〕─山本治子

2007年5月21日 16:25

花といえば朝顔のこんな歌がある。

 変り種の花のいといろきそへどもおのづからこそ愛づる朝顔

 朝顔の花さきしより朝寝せしわが開く戸を待たれぬるかな

 しらべや姿を重んじている歌の多い中で、多年の素顔とも云うか、何となく初々しさや、新鮮さが感じられる。「変り種」は、息子の宣治が盛んに珍しい洋花を作っていた頃の花やしきが目に浮ぶ。「洋花よりも私はやはり朝顔の方がよい」の意味である。「朝寝せし」の歌は全然ととのっていない。「朝顔の花が咲くようになってから雨戸をあけるのが楽しみだ。」と詠みたかったのだろうが、やっと判読できる程の怖しい乱筆で抜け字もある。きっと多年はお酒に酔っていたのだろう。夏の花やしきの夜のおそい営業ぶりがしのばれる。その反対に秋から冬にかけては寂しい。

 宇治川の中州の芦生あしふ水超えて波ふきわたる秋の初風

 怠りて積みおく書ふみも昨日今日秋たちしよりひらけそめけり

  (紅葉浅)
 花よりもなほたのしきは初霜に浅くも染めし峯のもみぢ葉

  (冬の山家)
 木の葉落ちる音ばかりして山里は冬こそことに住み憂かりけれ

 人とはぬわが山里におとずるるものは時雨と落葉なりけり
  
 寝覚めして開けばしづかに庭のおもの木の葉の上に散る木の葉かな


山本治子(山本宣治の長女・1996年3月5日没)

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