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山宣に仙台の地は踏ませない 帝国議会初演説余話〔2〕─藤田廣登

2007年5月21日 15:59

 では山宣の仙台入りはいつだったのでしょうか。正確には12月15日、宮城県の労農新党結成準備のために、午後1時から県下各支部代表者会議、午後7時から仙台公会堂(現在の市民会館)の演説会を計画していたのです。同行は細迫兼光でした。
 「山宣来る。新党準備会に集まれ!」のビラがまかれ、工場の塀などに伝単が貼り出されました。これに対して、宮城県警察本部長萬(よろず)富次郎は「山宣は一歩たりとも仙台に足を踏ませない。演説会は阻止する」と豪語して数日前から仙台市内の主要な活動家を予備検束して仙台署に留置し、当日は宮城県内の下り急行停車駅に検問を置き、車内検札も強化してむかえたにもかかわらず山宣と細迫は、その厳重な警戒網を出し抜いて仙台市内に姿をあらわしたのです。そこには県内の活動家たちの知恵と工夫があったのです。前日、京都の会を終えて上京した山宣は、代議士パスを使用せず普通切符で三等乗客になりすまして東北本線を北上、福島県境の北白川駅で案内役の東北帝大生が合流、仙台駅を素通りして岩手県境の瀬峰駅まで行き(一説には一関駅)そこから逆行、仙台駅へ到着、警察の裏をかいて市内花京院の隠れ家へ入り昼食をとりました。その準備とその後の会場の手配などは四歳の子どもをおぶった多田みどり(基一氏夫人)さんでした。
 ついで午後5時半から県庁前の三浦食堂で新聞記者会見、山宣は時局問題や新党準備会の状況を述べ、それが当夜の演説会弾圧の状況とともに翌日の新聞紙上に大々的に報じられて県警察部長を歯軋りさせたのです。

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