佐太郎さん大好き

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船弁慶 一度見たら忘れられない番組がある。昭和四十二年のNHKのドキュメンタリー「ある人生 親子鼓」がそれである。中学生の私はテレビの前で凝(かたま)ってしまった。画面では歌舞伎囃子方の田中傳左衛門氏が、娘の令子さんに小鼓を教えている。張盤を張扇で叩きながらの稽古は厳しい。汗もものかは、血みどろの応酬が白黒映像から迸(ほとばし)る。噛みつくような父親の叱咤を浴びながら、十七歳の少女は一歩も退かず真剣白刃の渡り合いをしていた。その凛々しさに、私は一目で恋に落ちてしまった。この少女が田中佐太郎さんである。
 田中家では長男が東大卒業後、学者になったため、三女の令子さんが囃子方の佐太郎を襲名した。歌舞伎の舞台は今でも女人禁制である。名跡を継いだにもかかわらず佐太郎さんは表舞台に立つことができなかった。黒御簾の中でもっぱら影囃子を演奏することになる。姿は女性でも、にじみ出るのは男の芸でなくてはならないという父の教えをうけて、佐太郎さんは過酷な修行に耐えてきた。
 やがて佐太郎さんは能楽大鼓方の亀井忠雄氏と結婚、三人の息子さんに恵まれる。長男の亀井広忠氏は現在、能楽大鼓方の星であり次男の田中傳左衛門氏、三男の傳次郎氏は歌舞伎囃子方の気鋭として活躍している。この三兄弟が主宰する「三響會」が、今年も南座で開かれた。能と歌舞伎は親子ともいうべき演劇であるのに、これまで共演が禁忌とされてきた。その垣根をとりはらって、大御所から若手まで融合する演目の意気やよし。
 「船弁慶」は今回も刺激的な舞台だった。三兄弟の演奏を聴くと、私はいつもあの四十一年前の少女の、鋭くそして張りつめた瞳を思わずにはいられない。理想の女性。仄聞すると、三兄弟は両親を、鬼の佐太郎、閻魔の忠雄と評しているという。(挿絵 川浪進)

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08/06/16│歌舞伎のツボ│コメント3

コメント

春香さん

中学生の春香さん、清楚で賢い少女だったでしょう。
テレビを凝視する姿が思い描けます。

若き日に受けた感銘は、ずっと消えませんね。
凛々しい理想の女性を見つけられて、よかったですね。

鬼の佐太郎! 閻魔の忠雄! 
素晴らしいご両親(!??)を持った三兄弟の演奏を聴いてみたいです。

お春さん

私が、兄弟や近所のガキ大将達と外で真っ黒になって、毎日真っ暗になるまで遊んでいた頃、お春さんは随分難しい番組をご覧になっていたのですね。

非凡な方、というのはどうも少女時代のすごし方も普通の人とは違うらしい!!

「鬼の佐太郎」ですか?私も誰かに「鬼の....」って言われていそう...?ウフフ。

先日NHKアーカイブで「親子鼓」を見ました。私ども夫婦の唯一共通の趣味が歌舞伎鑑賞なのですが、田中佐太郎という方を全く存じ上げずにおりました。バレーボール選手になりたいという少女時代の夢を捨て、伝統芸能の裏方として人生を捧げてこられた女性の、まさに血のにじむような精進振りに、感動を覚えました。以来、囃子方にも興味が湧くようになり、能や歌舞伎の味わいも深まりました。

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