顔見世昼の部(二)

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 「すし屋」は菊五郎の権太。父親に刺されて、苦しい息の下からの述懐が聞き所である。「いがんだおれが直(す)ぐな子を」以下をうまくまとめていた。この人の持ち役といっていいだろう。クサイ芝居をしないのが江戸の役者で、その心意気を見たような気がした。
 時蔵の維(これ)盛は気品のある容姿。菊之助のお里との釣り合いもよく、まず一級品の出来映え。左團次(さだんじ)の父親はへたな技巧に走らないところに、情愛が出た。富十郎の梶原は花道の出が大きく、一(ひと)幕がひきしまる。東蔵の若葉の内侍(ないし)は芝居心をよく弁(わきま)えていた。
 さて長唄舞踊の「二人(ににん)椀久」といえば、これはもう富十郎の椀久、雀右衛門の松山の大ヒットで知られる。初めて見たのは昭和五十一年の南座顔見世で、正直、目を剥(む)いたものだ。「筒井筒、井筒にかけし麿がたけ」からのいわゆるタマの所では茫然とした。初代尾上菊之丞振付。日本舞踊の底力を垣間見る思いだった。聞けばこれは「アズマカブキ」という外国公演のために振り付けられたものでフランスでも大評判だったという。タマとは三味線と鼓の即興演奏のことをいう。ジャズのアドリブが面白いのと同様かもしれない。
 仁左衛門、孝(たか)太郎コンビは二度目だが、連れ舞いの面白さより、もっぱら幻想的美しさに比重をかけた舞台である。振付は二代目花柳錦之輔。確かに、二年前より孝太郎は美女に見えた。それは照明の工夫や、白地の着付けで目に星が入った為もあるだろうが、哀愁を含んでしっとりみせている。それだけ腕が上がった証拠か。
 しかし、小手先ばかりの振りでは姿も小さく、感動は薄い。体全身をつかった迫力ある踊りが恋しい。富、雀の「按摩(あんま)けん引き」の踊り地の鮮やかさが、目に痛いほど残っているだけに、物足りなさも大きかった。

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07/12/18│歌舞伎のツボ│コメント0

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