仁左衛門の熱演と海老蔵の開眼

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 歌舞伎、と聞いて手を振った貴方。ああいう窮屈な伝統芸能は結構、ときめつけないで、まずはちらりと覗くことをお勧めする。
 かの元禄御畳奉行(おたたみぶぎょう)の朝日文左衛門も、公用出張中にもかかわらず芝居に明け暮れた。なんと三日つづきで、同じ芝居を三度も見るという豪華接待のありさまを、嬉しげに「鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)」に書き残している。
 してみると、芝居は今のゴルフのごとき娯楽だったのか。ま、むだ話はこれくらいにして、よろしくおつきあいのほどを。
 さて、冬に夏の話題を持ち出すとは、証文の出し遅れのようで気が引けるが、お許しいただきたい。
 この七月、「海老蔵、大怪我により降板」というニュースが飛び込んできたとき、歌舞伎ファンは色めき立ったものだ。
 「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」の与兵衛の代役は誰かということである。
 もしかすると片岡愛之助? いやいや彼は昼夜出ずっぱりだし無理無理。すると、やっぱりあの人しかいない。
 十五代目片岡仁左衛門。
 え、でも昼に「義経千本桜」の碇知盛(いかりとももり)を演っていて、体力が続くかどうか。しかも出番は夜の部、「身替座禅」のすぐ後ということになる。贔屓(ひいき)としては身体を第一に考えてもらいたい。けれど与兵衛はどうしても見てみたい。せめぎ合いが続いた。
 これには事情(わけ)がある。

 仁左衛門の「油地獄」は初演こそ大阪朝日座だったものの、それ以後の九回の公演はみな東京ばかりだった。なぜか関西では一度もやらないという、不思議な現象が続いていた。近年は、大詰の立廻りの烈しさ故に、年齢的にも難しいのではと、誰もがあきらめていた矢先に、この事件である。
 昭和三十九年、弱冠二十歳の孝夫(仁左衛門の前名)がこの難役をこなしたとき、劇場内に衝撃が走ったという。体当たりという生の演技と、与兵衛の若さゆえの暴走が相乗され、惨劇は見事な華となった。不気味さが舞台からこぼれて、観客の心をゆさぶった。それほどこの一役の効果は絶大だった。以後、国立劇場、演舞場と再演が続く。それは三之助ブームのやや片隅にいた仁左衛門にスポットライトが当たり、花形役者として躍り出た瞬間でもあった。
 さて今回の舞台は、期待に違わず、仁左衛門の独壇場だった。生の演技で通らなくなったぶん、和事(わごと)味を加えてその質を深めている。人に乗せられやすい不良青年が、追い詰められて牙を剥くという、まことに工夫の効いた与兵衛だった。
 また途中降板の憂き目は見たものの、海老蔵は確かに、鋭い感覚で役を掴んでいた。大阪弁の習得という問題はさておくとして、与兵衛のまがまがしさを全身で炙(あぶ)りだすことに成功していた。
 理屈抜きで、未熟さゆえの狂気を、鮮やかに見せた手柄は大きい。仁左衛門とは違う色の与兵衛の誕生である。喜ばしい限りである。

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07/12/03│歌舞伎のツボ

コメント

川浪春香さんの「歌舞伎よりどりみどり」拝読致しました~!
MOMOいちごは幸運にも、海老蔵サマの与兵衛を観せていただいたのですっ!(涙)
日頃からイキのいい海老サマが関西のドラ息子をどう演じるのか、それはそれは難しかったと思います。お芝居のクライマックスは鬼気迫るものでした。熱演が運悪く怪我につながってしまったそうですが、歌舞伎ファンにとっては若さに溢れた与兵衛と、芸の深さで完成させた納得の与兵衛とを両方楽しむことができて、お得なことだったと思います。
仁左衛門サマの与兵衛も観たかったけど、贅沢いっちゃいけませんね(笑)

今後もこの連載を「歌舞伎に行ったつもり」で楽しみに読ませて頂きますね!!

昨年暮れに歌舞伎のコーナーを教えていただいてから、まるまる二ヶ月かかって、ようよう、たどりつきました。歌舞伎少女が、湖北長浜に嫁いで、日々の生活に埋没している時、春香さんと知り合いました!それから30年近く、まだお出会いしてないのが、不思議、、、。ますますのご活躍を!
今年こそ、お出会いしましょう、ネ。
ちなみに、わたし、この一月、松竹座、昼・夜通しで観て、幸先がいいのです。