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山宣デス・スケッチ(5)

2008年2月12日 11:46

新潟を訪ねて
 山宣のデスマスクを描いた橋浦泰雄(1888~1979)の未完の「大作」(縦150cm横198cm)を何とか現代に生かしたい。思いついたのが持ち運びが出来る屏風に仕立てることだった。各地の「九条の会」の集会や平和の催しに貸し出し、多くの人にデスマスクを見てもらい、山宣が生きた時代をもっと認識して欲しい。
 表具を頼んだのは、版画家の小林春規氏(写真・右)である。京都で良い師匠につき、確かな腕を保持している。長年、京都で活躍しておられたが、今は実家である新潟の農村の地で仕事をしていらっしゃる。「京都民報」で連載したデスマスクの紙面を送り、1月9日に新潟へ訪ねた。雪国で多雪を覚悟したが、雪は路傍に若干あるだけで、天候に恵まれた旅となった。
 小林氏は息子さんと二人で対応してくださった。屏風は大作の紙を真っ二つにカットして、2枚の襖(ふすま)に貼り付け、2枚を繋ぎ合わせることになる。問題はカットする位置だ。目、眉、耳などを切らない位置を確認し、正式に依頼した。
 新潟では、もうひとつの出会いがあった。山宣の葬儀を描いた絵画作品「労働葬」(写真・左)を作成した矢部友衛(1892~1981)の消息である。矢部氏は新潟県人。小林氏から矢部氏の「遺稿集」を見せていただいた。生まれは新潟県最北部の村上市で、中学4年生まで過したが、父の逝去で母と伯母の住む糸魚川の中学へ転学していた。矢部氏は橋浦泰雄の4歳年下であり、大月源二の12歳年上である。戦前・戦後一貫して意志を貫き、民主的画家として生き抜き、ナップ設立の際、第1回委員長に就任した。
 「労働葬」の所在は1954年、国立東京近代美術館主催の「近代洋画の歩み」展に出品要請を受けたが、作品は行方不明となっている。恐らく、都合の悪い人たちの手によって隠されたか、処理されたのであろう。大月源二の「告別」が宇治の花屋敷にあるのは、大月氏自らが送り込んだのではないかと私は考える。
 未完の大作の「屏風」は5月の山宣生誕祭に間に合わせたいと御願いした。(山宣会顧問・蓮佛亨)

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