京都民報
なるほど京都

京のお人形

人形寺・宝鏡寺学芸員が語る、京のお人形話あれこれ。

著者:田中正流

加茂人形の猿まわし

猿まわし 猿使いの口上や太鼓の音に合わせて猿が踊りや寸劇などを見せる「猿まわし」をご存じでしょうか。以前はよく京都の町中でも見られたそうです。
  猿は「去る」に通じることから「魔を去る(祓う)」と信じられ、縁起のよい動物とされてきました。そのため猿まわしは「悪しきを去って、良きことを得る」という非常に縁起の良い芸として人気があったのです。
  本来は、正月などのめでたいときに、人家の門口で演じて金品をもらっていましたが、最近では庶民の娯楽として大道芸人が劇場などで披露しています。
  インドで発祥した猿まわしは、中国では狙公(そこう)といわれ、民間に流行した雑戯でした。日本の文献では、平安時代まで遡ることができ、『吾妻鏡』や『融通念仏絵巻』などに見ることが出来ます。鎌倉時代初期には、当時の武家にとっては戦役や物資輸送として重要視されていた馬の病疫退散・守護のために猿まわしが行われており、江戸時代には幕府の専属の職業として確立していました。
  黒川道祐の京都の生活記録である『遠碧軒記』には、延宝3(1675)年、京都には猿まわしが六人いて、因幡薬師の町に住んでいたこと、正月五日や親王様の誕生の時に内裏へ行き、この時には装束をつけたことなどが記されています。また同じ黒川の記した『日次記事』には、貞享2(1685)年正月五日に猿まわしの記事があります。
  このように厩舎の悪魔払いや疫病除けの祈祷の際に重宝されていた猿まわしも、初春の祝福芸を司るものとして御所や高家への出入りを許されていくようになりました。
  写真は、笑いながら口上を語っている芸人とちゃんちゃんこを着て舞っている芸猿の加茂人形です。江戸時代中期から後期頃の作品でしょうか、菊紋の入った着物に羽織姿の芸人はふくよかに笑っており、両手を挙げて舞っている芸猿の顔もひょうきんな表情をしており、いかにも加茂人形らしいにこやかな雰囲気が醸し出されています。芸猿の軽快な動きと芸人の話術という猿まわしの魅力がよくあらわされ、観客の笑い声まで聞こえてきそうな気がします。
  昭和30年代、テレビに娯楽の座を奪われるような形で、一度は廃絶した猿まわしも、昭和52年に「周防猿まわしの会」によって復活し、現在は山口県光市の無形民俗文化財に指定されています。ウォークマンのCMで有名になったチョロ松や、「反省!」の次郎などの活躍で猿まわしの人気も復活してきました。今後はテレビに舞台を移し、猿まわしの笑いと感動、そして癒しの時間などを提供してくれるのではないでしょうか。

写真:猿まわし(加茂人形) 宝鏡寺門跡所蔵