京都民報
なるほど京都

京のお人形

人形寺・宝鏡寺学芸員が語る、京のお人形話あれこれ。

著者:田中正流

孝明さん

枠御殿雛 この人形は、「孝明(こうめい)さん」と呼ばれています。
  髪を稚児輪に結い、櫛形の目と引き締まった口許をしています。あどけなさと気品に満ちた上品さが感じられます。紅色の縮緬に御所風の文様を刺繍であらわした衣装を着ていますが、人間の寸法をそのまま縮小して作られた衣装であるため三頭身の立子姿である「孝明さん」には少し大きく見えます。下に着ている白羽二重は本格的な御所風の仕立てとなっています。
  「孝明さん」の名前の由来は、人形に造詣の深かった孝明天皇(1831~1866)の崩御後に形見分けとして宝鏡寺へ下賜されたことによります。そこで孝明天皇にちなみ「孝明さん」と名付けられました。御所方では誰でも「さん」付けで呼ぶことが習わしとなっていたため「さま」でなくても失礼にはあたりません。
  このように二頭身や三頭身のふくよかな子供の姿をした人形を一般に御所人形と呼んでいます。江戸時代の中頃に京都で生まれた人形で当時様々な呼び名がありましたが、大正時代以後は御所にゆかりの人形ということから「御所人形」という名に統一されました。参勤交代のおりに、西国の大名が御所などに挨拶をした返礼にこの人形が贈られたり、御所から勅使が江戸に下向の際にこの人形を土産物としたため、「大内人形」「拝領人形」「お土産人形」、また大阪の人形店である伊豆蔵屋喜兵衛で作られていたため「伊豆蔵人形」、見た目の様子から「白肉」「頭大」「三ツ割(三頭身のこと)」など様々な呼び名がありました。
  桐材で作られることが多く、手捻りで作られる小さなものもあります。白い胡粉の肌で大きな頭をもち丸々と健康的な様子が御所人形の特徴といえます。
  出産祝いや、子供の災厄を祓ったり、道中の災難除けなどにも使われました。また祝い物に用いる場合は、頭髪を結んだ水引を額に描いたため「水引手」とも呼ばれました。
  江戸時代、医療は発達してきましたが、まだまだ子供の死亡率は高かったのです。孝明天皇のお父上である仁孝天皇には、合計15人もの親王・内親王がおられましたが、その中で成人されたのは、孝明天皇、桂宮、和宮の3人だけです。幕末の皇室でもこれだけ大変でしたので、人々の子供に対する願いはとても強く、そのため出産祝いに御所人形を贈ったわけです。後になるほど丸くデフォルメされた姿になり、手には縁起の良い吉祥の品々を持っている御所人形には、子供に対する願いが詰まっています。


写真:孝明さん(御所人形) 宝鏡寺門跡所蔵