京都民報
なるほど京都

京のお人形

人形寺・宝鏡寺学芸員が語る、京のお人形話あれこれ。

著者:田中正流

伏見人形の亥

伏見人形の亥  2007年は「亥年」ということで、猪の人形をご紹介します。全体的に丸みを帯び、どこか愛嬌のある表情をしているこの猪は六代目丹嘉の伏見人形です。
 伏見人形は、全国に90種類以上あるといわれる郷土人形の中で最も古い歴史を持ちます。桃山時代の末から江戸時代初期頃にかけて作り始められ、創始した人物には諸説あり、関ヶ原の戦いの後、深草に住んだ人形屋幸右衛門が始めたとする説や、辻井房二郎、焼塩屋権兵衛が始めた説などがあります。この人形が伏見の城下町や伏見稲荷の土産物として全国に広まり各地の土人形の生産に影響を与えたのです。
 製法は、まず前型と後ろ型それぞれに粘土を押し込んで型を取り、それを前後で合わせて人形の形を作ります。それを十分に乾かしてから窯で焼いた後、胡粉や岩絵の具で絵付けをするというものです。表裏のない商売をするという意味を込め、後ろ姿に色を塗らないのが伏見人形の特徴となります。
 江戸時代には伏見街道沿いに50軒以上の伏見人形の店が軒を連ねていたといい、明治時代には20数件の窯元があったようですが、現在では2軒しか残っていません。その1軒が、写真の猪を作った創業が江戸中期の寛延年間という老舗窯元の丹嘉で、現在は七代目となっています。丹嘉には土型が二千種ほど残っており、風俗や伝説を人形に表現したものが多く、狐や、饅頭食い、チョロケンなどユーモアがあり庶民的でもあり、人々に親しみを持たれてきました。また稲荷山の土で作られた人形を持ち帰って、子供が遊んで壊れると田畑へ埋め、それが稲のなる「イナリ」信仰とも結びつき、御利益のある人形でもあったようです。
 人々に親しまれ、ありがたい人形でもあった伏見人形は、独特の味わいを持ち、文化的にも価値が高いと言われています。

写真:亥 六代目丹嘉作 宝鏡寺門跡所蔵