京都民報
なるほど京都

京のお人形

人形寺・宝鏡寺学芸員が語る、京のお人形話あれこれ。

著者:田中正流

五月の節句 外飾りから内飾りへ

五月飾り 最近は若い女性の間で戦国武将がブームとなっています。戦国時代を扱った大河ドラマやアニメ、ゲームなどの影響が大きいのでしょう。特に人気なのは直江兼続や伊達政宗、真田幸村、長宗我部元親といった武将たちです。節句の世界にもこの影響は及んでいます。
 米沢市の上杉神社に奉納されている「愛」という字を前立にあしらった直江兼続所用の兜や、大きな半月が前立にあしらわれた仙台市博物館所蔵の伊達政宗所用の「黒漆五枚胴具足」などを模した五月飾りがよく売れているそうです。
 現在では当たり前のように部屋の中に飾っていますが、江戸時代前期ころは外に飾っていました。江戸時代の京都での五月飾りの変遷を資料をもとに紹介していきます。
 『日本歳時記』【貞享五(一六八八)年】には、幟や長刀とともに檜物細工の兜や、頭上に武者人形が飾られ柏の葉で作られた鍬形を持つ兜など外飾りの様子が描かれています。
 江戸時代の中期ころに外飾りから内飾りに変化していきました。『絵本弄』(安永-天明頃(一七七二-八八))には、幟は外に飾っていますが、部屋の中でかなり大きな牛若丸と弁慶の人形を飾っています。子どもたちには人気があったようでかなり目を引いています。
 江戸時代後期になると『守貞謾稿』に、「今世の飾り鎧兜、その製金・革を用いず。厚紙を重ね張り、胴・草摺・小手・脚当、これを用ひて製造し、あるひは切小さねのごとく、その他種々」とあり、本物の鎧のように金属や革を用いず、また『日本歳時記』に描かれているような檜製でもなく軽い厚紙などを材料とし、兜だけでなく鎧まで製作されていた様子がわかります。しかしだからといって粗製なのかというとそうではなく、「外見真の甲冑のごとく、蚕の組糸をもってこれを威し、紙張り表に漆し、あるひは黒ぬり、または鉄粉を塗り、所により鉑を押し、蒔絵を描き、金めつきの銅具を打ちて、精製なるあり」というように、本物の甲冑以上に豪華で贅沢な品でした。そのため『京都町触集成』を見ると、たびたびの禁制が出されていたことがわかります。

五月飾り 外飾りから内飾りに変わりさらに人形はだんだんと小さくなっていきますが、より精巧なものが製作されるようになりました。その題材も男の子の健やかな成長を祈る気持ちから、歴史上・伝説上の英雄や豪傑達が多く作られます。京都では、神宮皇后と武内宿禰、牛若丸と弁慶、熊坂長範、鍾馗、猩々、豊臣秀吉と従者、加藤清正、大将と旗持ちなどが好まれました。  時代は変われど子どもを思う気持ちは変わりません。戦国武将たちの名声や、演じる俳優・アニメ・ゲームキャラたちの「イケメン」にあやかり、色々な兜や人形が購入されていきました。今年は戦国武将の一騎打ちでどの武将が勝ったのでしょうか。

写真上:『日本歳時記』五月節句の外飾りの様子
写真下:『絵本弄』五月節句の内飾りの様子