京都民報

京のことば

今ではあまり聞かれなくなった京ことば。京ならではのことばと意味を紹介します。

木村恭造(「京のことばを残す会」助言者)

ジョサイナイ(じょさいない)

 「ジョサイナイ」は、ぬかりがないとかよく気がつくといった意である。ただ、如在(じょさい)は文字通りあるがままの意である。慶安3年(1650)に書かれた『かたこと』には、「如在といふ言葉のつかひやうのことも誤り来たれりとかや。但(ただし)如在なといふことを如在なきといふやうのなきは前に云る付字にて、只なということなり。無の字の義にあらず」とあるが、宝永5年(1791)の「丹波与作待夜」に「夫のこと我子のこと母に如在が有物か」とある。この間に、あるがままの意からぬかりがないといった意への転移がみられる。  雑俳ではその後のものに、「胴突の唄はいつでもぢょさいなし」寛政3年(1791)、「如才無う払ひの銀子に名をしるし」天保15年(1844)、「地(ぢ)気にも如才も無いけれど」明治25年(1892)などとでるが、全国的に東北から四国にかけてみられるこのことば、微妙に意味が変化していくところに問題がある。