「ギョーサン」は、業山とか仰山といった漢字があてられていたことが文献をみてもわかる。その意味は、もとは大げさにとかはなはだしくといった意味であった。
それが、現代の京ことばで使用する意の数多くとかたくさんにへと転化していくのは、幕末から明治の初期にかけてのことであったらしい。
雑俳によると、「ぎゃうさんにいふひえの山三千坊」元禄九年(1696)とか、「仰山に 達者な人が風(かぜ)をひき」天保十五年(1844)などとみられる。
それが、東京遷都以来になると、明治十九年(1886)に記された「東京京阪言語違」では、「ぎょうさん(京阪)、たくさん(東京)」とあって、その間に意味が移り変わっていくことがわかる。
ただ、最初の意味での大げさにの意味も現在の市内の老年層に少し残っていて、「そうギョーサンにいいナイナ」といったり、丹後の久美浜で「ギョーサンゲにユーナ」といったりもする。