京都民報

京のことば

今ではあまり聞かれなくなった京ことば。京ならではのことばと意味を紹介します。

木村恭造(「京のことばを残す会」助言者)

ドクショーナ(どくしょーな)

 「ドクショーナ」には、毒性なという字があてられ、語源も毒な性質があることによる。そのため、ひどいとか悪らつなの意味をもつ。例えば「ナアンテ、ドクショーナ政治しヤハルのヤロ」といった庶民の声があがる。この「ドクショーナ」は、江戸時代の後期といえる文政時代ごろからみられる語といわれ、文献によると文政4年(1821)の『浪花聞書』に「毒性(どくしょう)、意地悪き也」とあり、明治19年(1886)の「東京京阪言語」には、「どくしょうやな(京阪)、しどいねえ(東京)」とある。  雑俳でこの経過をみると、「眼をこすり毒性な天狗(てんぐ)風じやなあ」天保15年(1844)とか、「眠たがり 毒性な油売りやがつた」などとでる。この語の方言分布は畿内どまりで、京都府では南北の周辺部、舞鶴、福知山、京田辺市などにみられる。「ドクショーナ」ことが横行する世の中、なんとか素直な世に直していきたい。