鹿ケ谷南瓜
鹿ケ谷南瓜
かつて京都で南瓜といえば、瓢箪型をした鹿ケ谷南瓜をさしていました。明治維新による京都の衰微を打開しようと琵琶湖の湖水を京都へ運んだ琵琶湖疎水が建設され、〝生命の水〟となりました。
そして次に南禅寺から松ヶ崎まで、東山の山裾を縫うように第2疏水が延伸しました。「哲学の道」です。そして一帯は宅地へと変貌してゆき、鹿ケ谷南瓜の産地は移動し、やがて食味の上からも今よく見る菊座型の南瓜に押されて姿を消してゆきました。
その形の珍しさや朱色を帯びてゆく色合いの美しさから野菜として食べられるよりは、観賞品としてもてはやされています。
7月の土用丑の日、哲学の道に沿った山懐にある安楽寺では南瓜供養が執り行われ、食べれば中風にかからないとして一椀の鹿ケ谷南瓜かふるまわれます。