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      <title>歌舞伎よりどりみどり</title>
      <link>http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/</link>
      <description>４００年を超える歴史を持つ日本の伝統芸能、歌舞伎について。作家・川浪春香による、歌舞伎ウンチクから人生観にまで拡がるこだわり歌舞伎エッセイ。歌舞伎のついての豆知識も掲載。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
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         <title>團十郎を買いに</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080901.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080901.php','popup','width=345,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080901-thumb.jpg" width="150" height="200" alt="" /></a>　團十郎という朝顔があるというと、驚く方も多いのではないか。そもそも朝顔はヒルガオ科の一年草で、奈良時代、遣唐使によって薬草としてもたらされた。漢方の効用は下剤。後に観賞用になる。鈴木其一の「朝顔図屏風」でも知られるように、江戸時代後期には好事家たちにもてはやされ、大流行した。
　著名とは言えないが、「朝茶事の朝顔一花團十郎」という斎藤小夜氏の句がある。朝の茶会の花は朝顔で、その名は團十郎であると詠んでいる。勘のいい人はすぐ、あ、千利休の故事を下敷きにしているとおわかりだろう。
　時は桃山時代、利休が朝顔を愛でていると聞いた豊臣秀吉は、朝茶事を所望する。庭にあふれる朝顔を期待していった秀吉は、それがことごとく摘み取られていることに面食らう。浮かぬ顔で茶室に入ると、朝顔がたった一輪、床の間に活けてあったという。
　奇をてらわず自然を好んだ利休にしては作為があり過ぎるようだ。あるいは後世の虚構かもしれない。これが二人の不和の引き金になったともいわれているが、秀吉と利休の気質がよく判る逸話である。
　さて團十郎という朝顔は、ご承知の如く江戸歌舞伎に君臨してきた大名跡、市川團十郎に由来する。荒事の代表狂言「暫」には柿色の素袍（すおう）が用いられる。袖に三升の家紋を白抜きにした意匠は現代でも目を剥く鮮やかさである。江戸期この柿色が世間に広がり團十郎茶と呼ばれるようになった。その色に似た、黄蝉葉栗皮茶大輪（葉が黄色で丸く、栗の皮色の大きな花）朝顔に、團十郎と命名したのは誰だったのだろう。
　名前の効目は絶大、飛ぶように売れたと物の本にはある。今日でも入谷の朝顔市をはじめ園芸店では人気の商品。ただし花が茶色でも、覆輪の入ったものや葉が青いものは、本物の團十郎とはいわないそうである。
　尚「團十郎の歌舞伎案内」（ＰＨＰ新書）によれば、団は團ではない、團十郎と書く時は是非この文字を使ってほしいとある。気持ちはとてもよく分かるので、ご意向に従った。（挿絵・川浪進）]]></description>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Mon, 01 Sep 2008 10:30:04 +0900</pubDate>
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         <title>役者模様</title>
         <description>　役者の名前を冠した模様や色は様々ある。
　菊五郎縞は、四本と五本の縞を格子に組みその目にキと呂の文字を交互に置いて「キ九五呂」、つまり菊五郎と表す。
　芝翫縞（しかんじま）は、四本の縦縞と鐶（わ）をつないだ模様。「双蝶々曲輪日記」（ふたつちょうちょうくるわにっき）で放駒長吉に扮した中村歌右衛門（俳名芝翫）がその衣裳に用いてから流行した。
　半四郎鹿子は、麻の葉模様の鹿子絞りであるし、太申染（たいしんぞめ）という篆書の模様はそれを着た役者の名前から伝九郎染といわれる。
　この他にも江戸期には芝翫茶、璃寛茶（りかんちゃ）、路考茶（ろこうちゃ）など歌舞伎役者の名前をつけた茶色が流行している。いずれもくすんだ茶色で、当時の人々がかなり屈折した好みを持っていたことがうかがえて面白い。</description>
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         <category>2010_歌舞伎まめ知識</category>
         <pubDate>Mon, 01 Sep 2008 10:10:48 +0900</pubDate>
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         <title>「お母さん」はお嫌い？</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080825.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080825.php','popup','width=378,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080825-thumb.jpg" width="150" height="190" alt="" /></a>　宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」を見た。孫たちは大はしゃぎで、目を輝かせて見入っていた。六歳の小学生はもとより、いつもなら30分で飽きる三歳の子が、画面に釘付けだった。監督の着想に脱帽である。
　ひとつ気になったのは、宗介という主人公が、母親を終始リサと呼び捨てにしていたこと。時代を強調しているのかもしれないが、一番大切な肉親（ひと）を呼び捨てとはどうにも、ひっかかる。子どもの判断ではなく、おそらく親がそう仕向けたのだろう。そこに偽善を感じる。むろん、お父さんお母さんは明治末年の文部省の採用語だから、単に気に食わないだけなのかもしれないが。
　もっと昔は何と呼んだのだろう。日葡辞書にはヲフクロ、浮世草紙などでは母者人（ははじゃひと）と出ている。かかさん。ははご。ははじゃがもの。幼児語ではかあちゃん、やがて、おっかさんになった。
　歌舞伎で母恋いものは多いが、「芦屋道満大内鑑」（あしやどうまんおおうちかがみ）の四段目「葛（※注）の葉子別れ」が見ものである。
　近ごろ話題の、陰陽師安倍晴明の生誕にまつわる時代物といえば、興味を持つ方も多かろう。和泉国、信太（しのだ）の森の白狐が安倍保名と契って生まれたのが晴明、という伝説を浄瑠璃にしたものである。
　昔話の常で、人間の子どもを産み落とした狐は、所詮もとの古巣へ帰らねばならない。
「恋しくば尋ねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛（※注）の葉」の和歌を障子に書き残す場面が圧巻である。頑是無い子どもは、別れとも知らず「かかさまイのォ」とまつわりつく。なだめる母は右手の筆を、やがて左に持ち替えて綴り、ついには子どもを抱き上げ、口にくわえて文字をしたためる。この「かかさまイのォ」の哀切さ、母親を呼ぶ言葉の美しいことたとえようがない。
　ああ、そうか、監督は「お母さん」を使わないことで問題提起した、とみるべきなんですね。（挿絵・川浪進）

（※注）くさかんむりに曷]]></description>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Mon, 25 Aug 2008 12:53:57 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>聞香（もんこう）</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080811.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080811.php','popup','width=361,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080811-thumb.jpg" width="150" height="199" alt="" /></a>　趣味で篆刻をやりはじめて五年になる。師匠の家へ稽古に行くと、必ずほっと香が薫ってくる。安物の線香ではない。京都でも指折りの香老舗の極上品である。おのずと背中が伸びて、身の引き締まる思いがする。これは篆刻の古伝道統の習慣であるらしい。
　よい香りを聞くと、思考能力が高まることは昔からの書物でも知られている。また「源氏物語」の末摘花にも「忍びやかに、衣被（えび）の香（か）いとなつかしう薫り出でて」とあるように、平安の昔には衣類や文書、経巻などを保存する防虫剤にもなっていた。
　さて歌舞伎の舞台でお香といえば、まず「本朝廿四孝」の十種香の場が浮かんでくる。ご存じ八重垣姫である。
　女形の華といわれる三姫を列挙してみると「祇園祭礼信仰記」の雪姫、「鎌倉三代記」の時姫、それに「本朝廿四孝」の八重垣姫。　吹輪という鬘に赤地に刺繍の衣裳から名付けて、赤姫と呼ばれる。見かけは優雅で上品なお姫様だが、可憐なだけではない。三人三様、それぞれに個性的である。
　なかでもこの八重垣姫は、武田勝頼に「見れば見るほど美しい、こんな殿御と添い臥しの」と大胆にも恋心を吐露した上で「見染めたが恋路のはじめ、後ともいわず今ここで」などと口説いてしまう情熱の持ち主なのである。今どきの若者とちっとも変わらない。いや、この二百年も前に作られた芝居に引きずられるのは、深窓の佳人の稚気と錯乱に、するりと共感できるからかもしれない。
　八重垣姫は、恋人の死を悼んで回向のために十種香を焚く。これは実際に燻べるため、ひたひたとよい香りが客席にまでたちこめる。この香りの説得力は他の何事にも変え難い。視覚に加えてほどよく嗅覚（きゅうかく）を刺激された見物は、その相乗効果に驚くこと請け合いである。（挿絵・川浪進）]]></description>
         <link>http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/2008/08/post_42.php</link>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Mon, 11 Aug 2008 11:09:47 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>羅（うすもの）をゆるやかに著て崩れざる</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080805.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080805.php','popup','width=345,height=461,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080805-thumb.jpg" width="150" height="200" alt="中村勘三郎" /></a>　「昔はこうは暑うなかったなぁ。せいぜい三十二、三度どっせ。きょうびの暑さは、えげつない」と京都の古老は嘆く。確かに最近の猛暑は、早くて便利を追求した文明のツケが回って来ているような気がする。
　さて、本水と書いて「ほんみず」と読む。普通、舞台では本物は出てこない。そもそもびしょ濡れの舞台で芝居は続けられるはずがない。その常識を覆すように、滝のような夕立を降らせたり、舞台を川や池に見立てて水や泥を飛ばすことがある。夏芝居の景物といっていい。
　かの「夏祭浪花鑑」では長町裏の義平次殺しが有名だが、通称ここを「泥場」という。蓮池の泥田の中で、団七と義平次が微に入り細を穿ち、殺しの長丁場をみせる。考えてみれば、人間の極限状況をこれほど美化した演劇も他にないのではないか。
　残酷無比な殺人を、歌舞伎では舞踊的に描いてしまう。いやむしろ現実から遊離することで、そこにひとつの世界を創ろうとしたようにも思える。リアルな殺人など本当は見たくないはず。ものの本質はそんなところにあるわけがない。こうあらまほしい姿を、官能に訴えたとみるべきだろうか。
　役者は泥まみれでのたうちまわる。勿論、かぶりつきで見ている見物も泥を浴びるのだが、劇場側からあらかじめビニールシートが用意されている。一日、絽の単（ひとえ）を涼しげに着こなした女性がそのままに座っていた。「おや」と尋ねたところ、「大丈夫。汚れるのを気にするくらいなら、はなから着てきたりしません」とのたまった。なるほどそのとおり。それくらいの心意気がなくては芝居見物はできない。一張羅の洋服が、やれ濡れただの汚れただのと、文句たらたらの自分が恥ずかしくなった次第。美人に見えましたよ、その女性。（挿絵・川浪進／中村勘三郎像）

<span style="font-size:x-small">※羅（うすもの）　絽、紗、明石縮（あかしちぢみ）、透綾（すきや）、上布、などの薄絹、細麻で織ったものをまとめて羅という。
※「羅をゆるやかに著て」は、松本たかし（１９０６－１９５６）の句。能役者の家に生まれるも、病弱のため断念。</span>]]></description>
         <link>http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/2008/08/post_41.php</link>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Tue, 05 Aug 2008 12:47:03 +0900</pubDate>
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         <title>「１／ｆ ゆらぎ」は愉し</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080728.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080728.php','popup','width=345,height=450,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080728-thumb.jpg" width="150" height="195" alt="" /></a>　たき火や蝋燭の炎を見つめていると、何故かしら心が和む。また、そよ風や木洩れ日にも同じような心地よさを感じる。こういう現象には「１／ｆ ゆらぎ」があるという。
　パワー（スペクトル密度）が周波数ｆに反比例するゆらぎのことらしいが、難しい定義はさておき、例えば音楽でいうとモーツァルトの各曲、美空ひばりの声、ヒトラーや東条英機の演説の中にそれがあったと言われれば納得するのではないか。
　「熊谷陣屋」の仁左衛門は悪かろうはずがない。待ちに待った熊谷は線が太く、円熟した台詞回しに深い真情が吐露されていた。仁左衛門の名調子には、観客の心を掴む１／ｆゆらぎが間違いなくある。天性ともいうべき弁舌の爽やかさに、目を剥いたものだ。「早東雲と明る頃」の語り口には、まざまざと情景が浮かんでくる。「返させ給え」の三段の呼びかけも、練り上げ方が実にいい。「駒の頭を立直し」や敦盛を組み敷く様を、すべて扇一本で現してみせる。巧みの技とはこれかと思う。しかも平山見得の大きいこと。「熊谷こそ敦盛を」のノリ地の高揚感と、その後の泣き上げは特筆すべきものだった。
　僧形になって花道へかかると幕が閉まり、ドドンジャンの<a href="#anker-01">遠寄せ（※）</a>が聞こえる。はっと息を呑む熊谷。蓮生と名を改め、墨染めの衣をまとってはみたものの、そうたやすく武人の心が消え失せるわけはない。血なまぐさい戦場の習いに身体は素早く反応して、すわ敵かと身構える。が、ふと気がつくと太刀と思ったのは杖、兜と思ったのは網代笠なのである。しおしおとなって、我が身を嘲笑する。
　三味線の<a href="#anker-02">愁三重（※）</a>が涙をさそう。花道でひょろひょろとよろけ、また攻太鼓にキッと意気込む仁左衛門は、現世と仏道の狭間で揺れ動く心を確実に描き出してみせた。なんとも極上の舞台だった。（挿絵・川浪進）
<p class="x-small"><a name="anker-01"></a>※遠寄（とおよ）せ　歌舞伎の下座音楽のひとつ。銅鑼や大太鼓をつかい、合戦の陣鉦陣太鼓、法螺貝を表現した鳴物で、合戦の修羅場の代表的なもの。
<a name="anker-02"></a>※愁三重（うれいさんじゅう）　歌舞伎下座音楽。三味線をつかった効果音楽のひとつ主役が愁いを含んで物思いしながら引っ込むときにつかう。三段に区切ってアクセントをつけて弾くのでその称がある。他に、忍び三重、送り三重、対面三重など。</p>]]></description>
         <link>http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/2008/07/post_40.php</link>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Mon, 28 Jul 2008 12:13:15 +0900</pubDate>
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         <title>母よあなたは強かった</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080722.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080722.php','popup','width=345,height=465,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080722-thumb.jpg" width="150" height="202" alt="" /></a>　「伽羅先代萩（めいぼくせんだいはぎ）」の半通しは、関西では三十七年ぶりのことらしい。藤十郎、仁左衛門に中堅若手が脇を固め、生動する舞台になった。
　歌舞伎の下座音楽には秀逸なものが多い。序幕の頼兼と悪人一味との立ち廻りにつかわれた「待つ宵は三味線ひいて」はほれぼれするような唄いぶりで、思わず聞き入ってしまった。しかも、幕切れは「吹けよ川風、あがれよ簾（すだれ）、中の小唄の顔みたや」に、鳴物の浪音と早間（はやま）の佃合方（つくだあいかた）をかぶせる。これを聴くと、江戸の粋、風流とはどういうものであったかが知れる。ショパンやドビュッシーも悪くないが、この俗っぽさが堪らない。ああ日本人でよかった、とため息がもれた。
　藤十郎の政岡は、緋の綸子がよく似合う。じっくりと肚に溜めた行き方で、崇高な母性を感じさせてくれた。しかし飯炊（ままた）きをすべて省いたため、鶴千代と千松は空腹のままになった。ちと気の毒な気もするが、この場面を長たらしくやれば、中弛みは必定。見物は納得しつつもげんなりして、あくびの一つも出ようというもの。緊張感を保ったまま、栄御前の出になった。その折、通常の型と違って、沖の井に託さずに、上手の一間に鶴千代を入れたのは藤十郎の見識である。沖の井のお膳は駄目という講釈もこれでよくわかった。
　見どころは、千松の亡骸（なきがら）を前に「でかしゃった」とすがりつくクドキである。お馴染みの場面なれど、藤十郎の重厚な伎倆にはごまかしがない。台詞の緩急、声の調子、袱紗を使っての嘆きは型にそっていながら、型にはまらない独得なもの。母性を強靱に醸成した面白さは、ちょっと類のないものだった。出色である。気がつくと私一人だけではなく、周囲の善男善女も涙にくれている。忠義や慈悲より強い親子の情は、平成の世の中でも充分に通用するとみえた。（挿絵・川浪進）]]></description>
         <link>http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/2008/07/post_39.php</link>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Tue, 22 Jul 2008 15:31:57 +0900</pubDate>
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         <title>うつらない</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080714.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080714.php','popup','width=345,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080714-thumb.jpg" width="150" height="208" alt="" /></a>　十代の頃に宝生流の仕舞と謡を習っていた。七十近い師匠は、事あるごとに「<a href="#sakurama">櫻間道雄</a>先生のお能はすばらしかった」と語って倦まなかった。世に名人上手はあるが、櫻間先生の芸の神髄は、森羅万象を超越していたとまで断言したのである。後年テレビでその能を見たのだが、期待が大きかった分「ん？」と首を傾げたものだ。正直よく判らなかった。
　また昭和四十年代、歌右衛門の「京鹿子娘道成寺」の評判が高かった。これもテレビで見たのだが、はっきり言って退屈だった。何故この舞踊が熱狂的に観客の支持を得るのか、不思議に思えた。ところが南座の顔見世を見た途端、ひっくりかえった。興奮した。「あきらかに違う」と頭を振りつつ、そこに展開する名香のような幻想世界に酔い痴れた。舞台が瞬間に消える芸であることを知った初めである。生ものどころではない。ひと月興行の同じ演目でも、昨日と今日では全く別物。つくづく舞台の写真やビデオは、資料にしかならないと思ったものだ。では、いったい何が映らないのだろう。
　まず、形は映っても言外の風情が見えない。劇場の空気、観客のざわめき、そして何より色気のついた視線が映っていない。ここでいう色気とは、異性への関心や欲望のことである。舞台へ注がれる熱が高いほど、演者も興奮して緊張が高まる。この相乗作用こそ夢の仕掛けだが、いかんせん、それは映らない。テレビの劇場中継がつまらないのは、見たいものをカメラが見せてくれないところにある。例えば、道成寺の乱拍子を見たいのに、カメラは無情にも役者の顔しか映さない。悔しい。
　世は刻々と変化するとはいえ、なお舞台には生でなければ味わえない妖婉な快楽がひそむ。刺戟的、倒錯的に残忍性を加えた世界。たまゆらの陶酔境を求めて、観客が劇場まで足を運ぶ所以である。（挿絵・川浪進）

<a name="sakurama"></a><span style="font-size:x-small">櫻間道雄（1897～1983）
　能役者。シテ方として傑出した技と主張で能界の重鎮となる。八十四歳で「道成寺」を舞うなど前人未到の業績を残した。</span>]]></description>
         <link>http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/2008/07/post_38.php</link>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Mon, 14 Jul 2008 10:27:25 +0900</pubDate>
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         <title>三谷幸喜の「笑の大学」</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080708_mitani.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080708_mitani.php','popup','width=460,height=353,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080708_mitani-thumb.jpg" width="200" height="153" alt="三谷幸喜の「笑の大学」" /></a>　「ああ、あれならまた見てみたい」
　近年歌舞伎以外の演劇で、文句なく太鼓判を押せるのは「笑の大学」である。西村雅彦と近藤芳正という手練の芝居には、魂消（たまげ）たものだ。まさに二人芝居の傑作といえるのではないか。検閲係と座付作家が火花を散らして激突する、その手に汗握る展開は見もの、とここまで書いてきて、これは何かに似ていると気がついた。そう、歌舞伎の歴史が正にこれなのである。
　阿国歌舞伎は、時代の尖端を行く新しさが売り物だった。中国渡来の三味線を取り入れ、幸若舞を吸収し、鉦、笛、鼓で囃し立てる。しかし、色を売った為、たちまちお上のお咎めが下る。寛永六年に、女歌舞伎の一切禁止令が出されてしまう。この禁令は幕末まで続き、女優は舞台に立てなくなった。けれど役者はへこたれない。女がだめなら男がいるではないか。若衆歌舞伎の誕生。ところがそれも性的倒錯ということで、またもや禁止が出る。興行師、役者が嘆願してようやく役柄の分担をすることで、裁可を取り付けた。女方の誕生である。
　この若衆歌舞伎が煽情的で、承応元年には前髪を剃り落とせという禁令が出される。考えましたね、役者も。それでは色を売らずに面白い筋で客を惹き付ける芝居を作ろうと。剃り落とした前髪のかわりには、紫の置手拭や紫帽子を工夫して使う。試行錯誤を重ねて、世界にも稀な女方の芸が完成されていく。
　ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。お上のご威光なんかに負けてはいられない。鼠ごっこ鼬ごっこをやればやるほど、人間は創意工夫してもっと愉快なこと、もっと奥の深いことを考えてしまうんですね。飽くなき探求。おかげさまで、歌舞伎はこんなに魅力的になりました。（挿絵・川浪進）]]></description>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Tue, 08 Jul 2008 16:58:22 +0900</pubDate>
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         <title>もったいない</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080630_natumaturi.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080630_natumaturi.php','popup','width=460,height=491,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080630_natumaturi-thumb.jpg" width="187" height="200" alt="夏祭浪花鑑" /></a>　芝居を解体して練り上げる何々版歌舞伎が盛んである。もちろん古典だからといって、昔のままに演じていては黴がはえてしまう。しかし初演されてから数百年も生き残り、洗い上げられてきた作品は貴重である。着物の色や柄一つとっても、これでなければ成り立たないという定型ができている。
　例えば「夏祭浪花鑑（なつまつりなにわかがみ）」の住吉鳥居前に出てくる床見世の暖簾である。あの大胆なあばれ熨斗模様は、注目に値する。しかも団七役者の紋も一緒に染め抜いてあって、誰が考案したのか、まことに世界のどこに出しても負けない意匠といっていい。それが今回消えた。
　また、団七と徳兵衛が高札で争う中を、お梶が止めに入る。たまたま床見世に掛かっている芝居の番付板で押さえる面白さ。これは世話浄瑠璃の「曽根崎心中」である事というが原作の指定である。ところが串田和美演出はこれまた素っ飛ばして、お梶は日傘で止めに入る。他の部分は胸のすくような切口なのに、暖簾と日傘、この二つだけは頂けない。いや大変困る。
　理由は簡単、芝居の中に芝居番付を出す事は、入れ子になって奥行きが一段と深まっていたのである。しかも曽根崎心中の主役の名前は同じ徳兵衛、わざわざ限定したのもこの物語を喚起させることによっての通奏低音を狙っていたに違いない。
　もっと卑近な事を言えば、上方の人間は高価な日傘を壊すような真似はいたしません。出すものなら舌でも嫌、まして大坂はシブチンと揶揄されようと「節約倹約始末は美徳」が骨の髄まで染み込んでいる土地柄である。大切な日傘は取り置いて、手近な芝居番付で止めに入るのが至極当然。あたりきしゃりきなのです、串田さん。ここの所を呑み込んで、次回は暖簾もコッテリ派手な「夏祭」といきましょうよ、ね。（挿絵・川浪進）]]></description>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Mon, 30 Jun 2008 11:45:14 +0900</pubDate>
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         <title>鰹は半分もらっていくよ</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080623_shinza.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080623_shinza.php','popup','width=355,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080623_shinza-thumb.jpg" width="150" height="194" alt="" /></a>　数の子はコリコリという音を食べ、初鰹は初という字を食べるのだという。
　青葉の季節、徹夜明けの頭にホトトギスの声が響く。<a href="#kikinashi">聞きなし</a>はテッペンカケタカ。一服の清涼剤である。大病を患ってからこれを聞くと、ああ、なんとか今年も一年生き延びることができたか、という詠嘆がもれる。言い古された句ながら、素堂の「目には青葉山ほととぎす初鰹」を口に出さずにはいられない。さて、芝居の初鰹といえば河竹黙阿弥の「梅雨小袖昔八丈（つゆこそでむかしはちじょう）」、いわゆる「髪結新三（かみゆいしんざ）」にとどめを刺す。
　主役の新三と家主長兵衛のやりとりが圧巻である。そっくり貰えると思った三十両が、半分の十五両しか貰えないとわかるまでの騒ぎ。その受け答えの合間に長兵衛は「鰹は半分もらっていくよ」と挟むのである。無頼漢の新三が、へなちょこ親父の家主に手玉にとられる有り様には溜飲が下がる。さすがに黙阿弥、明治六年の初演当時は見事な現代劇であったに違いない。また台本にない捨台詞の応酬は役者の腕の見せ所でもある。
　世話物の登場人物は生活感が身上である。たとえ台本になくても、動作に合わせた言葉によって場面場面を写実に見せる。けれども、突然お弁当を付けられると詰まる事もある。お弁当とは<a href="#irekoto">入れ事</a>で、例えば新三が子分の勝奴に話しかける。「この植木はどこで買ったィ？」と訊かれて、まさか大丸でとも言えず言葉につかえた勝奴。翌日はしっかり調べていく。同じ質問に意気揚々と「八幡様で」と答えたら今度は、「いくらで？」と畳みかけられ、又絶句したとか。
　とまれ初物を有り難がるのは江戸で、大坂は<a href="#oushima">魚島</a>という言葉もあるように、旬の物を安く味よく食べるという意識が根強い。粋と実。江戸と大坂の違いは面白い。（挿絵・川浪進）

<span style="font-size:x-small"><a name="kikinashi"></a>○聞きなし
　鳥や虫の声を覚えるために意味のある言葉に置き換えることをいう。例えば、ウグイスを「法、法華経」。コノハズクを「仏法僧」。センダイムシクイには、「鶴千代君ィー」という聞きなしがある。これは仙台の伊達騒動を題材にした歌舞伎「伽羅先代萩」（めいぼくせんだいはぎ）の若君の名前をかけている。鳥の名のセンダイもここからきているとか。芝居がいかに身近であったか、また江戸庶民の一般教養も高かったことがうかがえる。
<a name="irekoto"></a>○入れ事
　台本にない文句や所作などをはさむこと。
<a name="uoshima"></a>○魚島（うおじま）
　八十八夜前後の魚類の豊漁期をいう。陰暦三、四月頃、瀬戸内海の魚島付近に産卵のために鯛や蛸が集まる。そのため漁獲高も多く味もよい時期であるところからいう上方の語。</span>]]></description>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Mon, 23 Jun 2008 11:22:54 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>佐太郎さん大好き</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080616_sataro.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080616_sataro.php','popup','width=356,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080616_sataro-thumb.jpg" width="154" height="200" alt="船弁慶" /></a>　一度見たら忘れられない番組がある。昭和四十二年のＮＨＫのドキュメンタリー「ある人生　親子鼓」がそれである。中学生の私はテレビの前で凝（かたま）ってしまった。画面では歌舞伎囃子方の田中傳左衛門氏が、娘の令子さんに小鼓を教えている。張盤を張扇で叩きながらの稽古は厳しい。汗もものかは、血みどろの応酬が白黒映像から迸（ほとばし）る。噛みつくような父親の叱咤を浴びながら、十七歳の少女は一歩も退かず真剣白刃の渡り合いをしていた。その凛々しさに、私は一目で恋に落ちてしまった。この少女が田中佐太郎さんである。
　田中家では長男が東大卒業後、学者になったため、三女の令子さんが囃子方の佐太郎を襲名した。歌舞伎の舞台は今でも女人禁制である。名跡を継いだにもかかわらず佐太郎さんは表舞台に立つことができなかった。黒御簾の中でもっぱら影囃子を演奏することになる。姿は女性でも、にじみ出るのは男の芸でなくてはならないという父の教えをうけて、佐太郎さんは過酷な修行に耐えてきた。
　やがて佐太郎さんは能楽大鼓方の亀井忠雄氏と結婚、三人の息子さんに恵まれる。長男の亀井広忠氏は現在、能楽大鼓方の星であり次男の田中傳左衛門氏、三男の傳次郎氏は歌舞伎囃子方の気鋭として活躍している。この三兄弟が主宰する「三響會」が、今年も南座で開かれた。能と歌舞伎は親子ともいうべき演劇であるのに、これまで共演が禁忌とされてきた。その垣根をとりはらって、大御所から若手まで融合する演目の意気やよし。
　「船弁慶」は今回も刺激的な舞台だった。三兄弟の演奏を聴くと、私はいつもあの四十一年前の少女の、鋭くそして張りつめた瞳を思わずにはいられない。理想の女性。仄聞すると、三兄弟は両親を、鬼の佐太郎、閻魔の忠雄と評しているという。（挿絵　川浪進）]]></description>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Mon, 16 Jun 2008 10:21:40 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>竹本</title>
         <description>　大坂の竹本義太夫（１６５１～１７１４）という浄瑠璃の太夫の名前からきている。以前は「チョボ」と言っていたが、現在では常磐津や清元と同じように、流祖の姓を種別の名称としている。
　竹本の役割は状況説明である。義太夫狂言で、それぞれの役者の注文に応じて地合いと台詞を語り分ける。丸本物といって文楽からきている大曲は、比重が掛かる。
　この他、舞踊劇の伴奏音楽としても活躍する。舞台上手の御簾内で語る場合や、出語りでは床を出し、文楽のように「文楽廻し」でぐるりと廻って入れ替わる。</description>
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         <category>2010_歌舞伎まめ知識</category>
         <pubDate>Mon, 09 Jun 2008 11:38:40 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>吉様まいる　上村吉弥のみよし会</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080609_kichiya.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080609_kichiya.php','popup','width=341,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080609_kichiya-thumb.jpg" width="148" height="200" alt="上村吉弥" /></a>　「だんまり」は歌舞伎で暗闘と書く。百聞は一見に如かず。まあ、一度ご覧下さい。これこそ歌舞伎のなかの歌舞伎といっていいほどの様式化された演出である。
　たとえば下座音楽の「露は尾花と寝たという」などが始まると、もうそれだけでゾクゾクする。舞台の登場人物は、すべて無言。暗闇のなかで、見えないという約束のもとに、ゆっくり手探りしていく。このスローモーションがいいんですね。いったい誰がこの演技を編み出したのか、先人の知恵は侮りがたい。
　明るい舞台を闇の中と見せるには、もちろん腕がいる。全身をさらけ出してしまうから、役者ぶりのいい姿は一層鮮やかに見えるし、踊りの名手は風情が際立つ。更に言葉でごまかさない分、目の動きが重要になる。
　上村吉弥はこの目の使い方のうまい役者である。玉三郎の「天守物語」で薄に扮したとき、おおっと膝を叩いたものだ。下界を見下ろしながらの長い述懐は、誰がやっても途中ダレるものだが、遠望している眼光と台詞に、いささかの揺るぎもなかった。感動した。
　今回の「伊達競阿国戯場（だてくらべおくにかぶき）」の身売りの累（かさね）は関西では四十三年ぶりの上演という。水口一夫氏の補綴、演出は初心者にも心をくだき、幕開きの解説に桜田治助と子どもを出すなど懇切丁寧。幕切れをだんまりにして華やかな趣向にしたのは手柄である。相貌の崩れた累と打って変わり、吉弥の水も滴る姿を見て、これで観客は安心して家路につける。
　またもうひとつの収穫は、竹本の愛太夫と長一郎がうまかったこと。愛太夫の語りは若手のなかで随一といえそう。最近の竹本はスカスカして風通しがよすぎるのだが、愛太夫は肚が出来ている。昔の米太夫を髣髴とさせたのは、容姿ばかりではないようだ。将来が楽しみになってきた。（挿絵・川浪進）]]></description>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Mon, 09 Jun 2008 11:30:58 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>掛け声かけましょ</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080602_ohmukou.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080602_ohmukou.php','popup','width=356,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080602_ohmukou-thumb.jpg" width="150" height="193" alt="" /></a>　「音羽屋ッ」「成田屋ッ」「高麗屋ッ」
　初めて歌舞伎を見に行ったとき、客席のあちこちから声が飛んだ。ありゃなんじゃ？
　役者には屋号というものがあって、贔屓にかける声援だと知ったのは後のことである。芝居も面白くて目が離せないが、どんな人がどんなふうにかけているのだろう？　声のする方を左見右見（とみこうみ）したものだ。上品な能などと違って、歌舞伎は心が動けばすぐに身体で反応する。胸のうちから沸き上がった興奮をほとばしらせるのは自然なことだ。音羽屋を耳で聴くと「わやッ」、成田屋は「たやッ」。何のことはない、ほとんど同じ。中村富十郎の天王寺屋は「のじゃッ」。六代目歌右衛門や十三代目仁左衛門などは、声がかかるとノッてくるのがはっきりと分かった。この掛け声、東京では「大向う」といって幾つか公認の会があるという。いわばプロの集団で役者から御祝儀が出るらしい。「今のは何だい。大事な所でツボをはずしちゃってさ。ああ、今日は藤四郎（とうしろう：「素人」の意）が多いからしょうがねえか」などと耳にしたことがある。ことほど左様に、江戸では粋やイキを重んじて、掛け声も短く早い。けれどお約束どおり、規格どおりにかける掛け声はどことなく冷たい感じがする。つまらない。散文的すぎるといってもいい。関西では初音会のみ。その手の商売を毛嫌いする土壌があるのかとも思う。
　上方では、お追従で掛けたりはしない。本当に嬉しくて感激した時にだけ、思わず声をかける。そうそうあれは、鴈治郎の「紙屋治兵衛」だった。「魂抜けてトボトボと」と花道を歩く紙治に、「がんじろはーん」と声を上げた老婦人があった。これは、効いた。いや、効いたなどというものではない。役者と客席が、真っ向から繋がった幸福な一瞬だった。皆様どうぞ掛け声を。（挿絵　川浪進）]]></description>
         <link>http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/2008/06/post_31.php</link>
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         <category>1010_歌舞伎のツボ</category>
         <pubDate>Mon, 02 Jun 2008 11:30:59 +0900</pubDate>
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