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    <title>歌舞伎よりどりみどり</title>
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    <updated>2009-03-11T02:07:59Z</updated>
    <subtitle>４００年を超える歴史を持つ日本の伝統芸能、歌舞伎について。作家・川浪春香による、歌舞伎ウンチクから人生観にまで拡がるこだわり歌舞伎エッセイ。歌舞伎のついての豆知識も掲載。</subtitle>
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    <title>大きいことはいいことか</title>
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    <published>2008-12-19T01:09:32Z</published>
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    <summary>　正直、「信濃路紅葉鬼揃」がこんなに面白いとは思わなかった。歌舞伎座での初演時に退屈で退屈で何度も居眠りしてしまったからである。能がかりを強調した玉三郎の努力は認めるが、松羽目舞踊...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081219.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081219.php','popup','width=330,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081219-thumb.jpg" width="143" height="200" alt="" /></a>　正直、「信濃路紅葉鬼揃」がこんなに面白いとは思わなかった。歌舞伎座での初演時に退屈で退屈で何度も居眠りしてしまったからである。能がかりを強調した玉三郎の努力は認めるが、松羽目舞踊だからといって「侘」「寂」「幽玄」という原点に戻ればいいというものではない。さすがに彼の炯眼も空回りしているようにみえた。
　ところが今回、目を瞠ったのは、唐織の装束である。地元西陣で新調したせいか、朱色の半切（はんぎれ・袴の一種）によく映り、いずれ劣らぬ綾錦で舞台を埋め尽くしていた。歌舞伎座では遥か彼方で刺戟さえ受けなかったのに、南座という劇場（こや）ではその力を充分に発揮している。興味深いことだった。つまりあれから随分作品の刈込みもしたのだろうが、上首尾を導いたのは、むしろ劇場の大きさではなかろうかと気がついたのである。
　琴平の金丸座、平成中村座など、芝居の魅力が充分に味わえるところは、客席数が少ない。ちなみに、歌舞伎座2092、金丸座720、中村座800である。人間の身体能力がそれほど変わる訳は無し、どんなに音響装置が精巧になろうと、行渡る範囲は知れている。たとえ名人上手の伎倆をもってしても、二階から目薬では効力がないに等しいだろう。
　南座の座席数は1078、程よい大きさといえる。舞台間口が十五間という歌舞伎座からみれば、南座はその半分の八間だから、その分、密度も濃くなるし、たちまち芝居と一体化できる。だいたい歌舞伎座は横長で、広すぎるのが欠点である。先日、その歌舞伎座の改築が発表された。2010年４月で閉館。劇場とオフィスビルとを合わせた施設に建て替わるらしい。お願いは一つだけ。どうぞこぢんまりと、できれば役者の汗が見えるくらいの劇場をということである。大きければよいという時代は過ぎてしまった。
　さて一年間、お付き合いいただきまことにありがとうございました。今度は劇場でお逢いしたいものです。（挿絵・川浪進）]]>
        
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    <title>算数はお好きですか？</title>
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    <published>2008-12-12T01:15:38Z</published>
    <updated>2008-12-12T04:25:43Z</updated>
    
    <summary>　一年に一度は、東京のブリヂストン美術館へ出かける。小出楢重の六十号の大作「帽子を冠れる肖像」に逢うためである。谷崎潤一郎の「蓼喰ふ虫」の挿絵は強烈だった。この大阪生まれの洋画家の...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081212.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081212.php','popup','width=353,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081212-thumb.jpg" width="153" height="200" alt="" /></a>　一年に一度は、東京のブリヂストン美術館へ出かける。小出楢重の六十号の大作「帽子を冠れる肖像」に逢うためである。谷崎潤一郎の「蓼喰ふ虫」の挿絵は強烈だった。この大阪生まれの洋画家の名前は忘れ難い。
　幼いころから歌舞伎に親しんでいた楢重は菱川師宣の浮世絵を愛好していたため、洋画家でありながら日本画の骨法はお手の物であった。コラージュも印象的で、「蓼喰ふ虫」の挿絵は、上方情緒の中に線描や淡墨を使って、大胆なピカソ風の味付けをしている。そのため伝統的な視点と近代的な様式が相俟って目をむく面白さ。これが近代挿絵史上、稀に見る傑作を生み出した所以である。楢重は算数が大嫌いだった。そういえば青木繁も司馬遼太郎も、数学が出来なくて中学を滑った。なんだか、ほっとする話ではある。多才な楢重の飄逸な文章を見てみよう。「５＋５が10で、先生がやって生徒がやっても、山本がやっても木村がやっても、10となるのだ。10とならぬ時には落第するのだからつまらない。私は５＋５を羽左衛門がやると100となったり、延若がやると55となったり、天勝がやると消え失せたりする様な事を大に面白がる性分なのである。随筆『雑念』」
　この十五代目市村羽左衛門は、すっきりした容姿と鮮やかな口跡で、喝采を浴びた役者である。助六、富樫をはじめ実盛などの捌き役、与三郎、直侍のような世話物の二枚目を得意とした。生涯老け役はやらず、また花のような舞台に、脚光（フットライト）はいらなかったという伝説まで生んでいる。
　二代目實川延若は、初代中村鴈治郎と共に上方で活躍した役者で、石川五右衛門役の古怪な容貌が語り種になっている。松旭斎天勝は明治から昭和にかけて活躍した女性奇術師。美貌と才気で歌舞伎座にも出演した記録がある。それにしても、楢重が羽左衛門が御贔屓だったとは。エスプリの効いた文章がうまいと思いませんか。（挿絵・小出楢重像・川浪進）]]>
        
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    <title>偽りを誠にかえすために</title>
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    <published>2008-12-05T04:29:25Z</published>
    <updated>2008-12-05T06:27:58Z</updated>
    
    <summary>　もし、愛する男が大義のために己を利用していたと分かったら、女はどうするだろう。偽りの懸想に、心は深く傷つくに違いない。あの甘いささやきは嘘だったのか。男を恨み続ける日々。けれど、...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081205.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081205.php','popup','width=349,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081205-thumb.jpg" width="151" height="200" alt="" /></a>　もし、愛する男が大義のために己を利用していたと分かったら、女はどうするだろう。偽りの懸想に、心は深く傷つくに違いない。あの甘いささやきは嘘だったのか。男を恨み続ける日々。けれど、万に一つ、そうではないかもしれない。男の本心が知りたい、いや確かめなければ。女主人公のおみのは、それを問い質すために、死を賭して細川屋敷に乗り込んでいく。
　真山青果の「大石最後の一日」は、亡君の無念を晴らした四十七士の後日譚。死罪という裁断を下された、まさにその最後の一日の物語である。この戯曲には種があった。細川家家臣の堀内伝右衛門の覚書に、「切腹した赤穂浪士の磯貝十郎左衛門の遺品に、琴爪が残されていた」との記録がある。青果はこれを糸口にしたのだった。
　彼の芝居は台詞劇である。厖大な台詞の洪水。一期は夢よ、ただ狂えとばかりに、畳み込まれていく言葉、言葉、言葉。そこには、饒舌とは次元の違う凄味が感じられる。
　人物の設定がよく、趣向は斬新である。青果は、男が琴爪を肌身離さずにいたという、絶妙な答えを出した。これですべてが氷解する。それと知ったおみのは、恋を成就させるために自害するのだった。知の人である青果はまた、抒情においても巧みである。おそらく、こうあらまほしき女性像を仇討にかけて相聞歌を紡いだのだろう。時代と運命を丸ごと引き受けた恋人たちの、美しいことこの上もない。歌舞伎と言う額縁のなかでこそ、光輝いて見えるのはそのためである。
　もう一つの見所は娘おみの。細川屋敷に入り込むための男装は、なまめかしくも凛々しい。女形は女に変身した上に、更に男装という仮面をつけなければならない。役者の倒錯した伎倆を垣間見るのも一興か。しかし忠臣蔵を全く知らない世代に、この芝居の世界は本当に立ち上がるのだろうか。愛着は深いだけに、気がかりである。（挿絵・川浪進）]]>
        
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    <title>フレー　フレー</title>
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    <published>2008-11-28T01:57:27Z</published>
    <updated>2008-11-28T02:14:29Z</updated>
    
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081128.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081128.php','popup','width=345,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081128-thumb.jpg" width="150" height="200" alt="" /></a>　オリンピックで番外種目だった綱引きを復活させよう、という運動があるらしい。なんでも八人ずつで引き合う国際ルールを浸透させて、2012年のロンドン五輪への参加を目論んでいるとか。このスポーツ、今では運動会の定番競技になっているが、もともと豊作や豊漁を願う年占の行事だった。
　稲藁や茅を材料に、男女の性器を象ったものを作り社寺に納めたり、太綱を綯い、二組に分かれて綱を引く。賑やかに囃したてて競い合うという神事は、今でも全国に分布している。奈良では正月に太い「お綱さん」を打って、男たちが村中を練り歩く。勝ち負けにこだわらず、悪疫や災禍を防ごうという祈りも籠められていたに違いない。
　歌舞伎の荒事にも「象引」「車引」など、この引っ張りっこがたくさん取り入れられている。今年の顔見世では「正札附根元草摺」が幕開き狂言。単純明快な筋を象徴するように、登場人物は二人だけである。兄の十郎の危急を知った曽我五郎が、鎧を引っ提げて飛び出そうとする。それを朝比奈の妹舞鶴が、血気に逸ってはならないと、鎧の草摺をつかんで引き止める。「離せ」「留めた」というこの立回り、女ながらも大力と聞こえた舞鶴との引き合いが見ものである。
　外国ではやたら勝敗を決めたがるが、日本では儀礼的にぼかすことも多い。あちらを立て、こちらも立ててご安心というように、ナアナアが罷り通ってきた。野球のルールで引き分けがあるなんて、日本だけだそうですね。
　勿論この長唄舞踊は勝ち負けではなく、引っ張り合いを美しく見せるのが主眼である。こういう曖昧さは「いい加減」という風潮を生むかもしれないが、白黒をつけない、つまり「よい加減」が広がって世界平和に繋がらないものかと思ったりする。
　我々は呱々の声をあげると同時に、死へ向かって走り出しているのだから、せめて戦争のない世の中で、時間との綱引きを楽しみたいんですがね。（挿絵・川浪進）]]>
        
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    <title>三角の雪　四角の雪</title>
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    <published>2008-11-21T04:39:53Z</published>
    <updated>2008-11-21T04:46:06Z</updated>
    
    <summary>　「下京や雪つむ上のよるの雨」 　蕪村の傑作「夜色楼台図」を見るたびに、凡兆のこの句が浮かんでくる。これは、最初に上五文字がなくて下句だけ出来ていた。芭蕉の弟子達が集まり、色々置い...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081121.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081121.php','popup','width=344,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081121-thumb.jpg" width="149" height="200" alt="" /></a>　「下京や雪つむ上のよるの雨」
　蕪村の傑作「夜色楼台図」を見るたびに、凡兆のこの句が浮かんでくる。これは、最初に上五文字がなくて下句だけ出来ていた。芭蕉の弟子達が集まり、色々置いてみるが決まらない。そこへ芭蕉が顔を出し、言下に「下京や」と答えたという。更に、これ以外にいいものがあったら私は俳句を止める、とまで言い切ったのである。凄い自信ですね。
　しかし肝腎の、凡兆は沈黙したまま。芭蕉は情緒を詠み、凡兆は気息の冴えを詠む。だからこそ、「下京や」に納得できなかったと見るべきか。いや、そうではあるまい。己が苦吟しても得られなかった上五をすらりと口にした師匠に、凡兆は嫉妬したのではあるまいか。嗚呼やられた、と地団駄を踏む思いが伝わる逸話である。
　歌舞伎の雪景色はまことに美しい。舞台、花道を一面に雪布という白布で敷き詰める。勿論あの黒衣も、この時だけは白い雪衣（ゆきご）となる。木戸や樹木には雪綿を置いて、いかにも雪の降り積もった有り様を見せる。大道具方は、雪籠に紙の雪を仕込んで、天井から振り落とすのである。
　この雪は三角と決まったもので、江戸の昔からの伝統だった。まだみな丁髷を結っていた時分は、髪結いという職業が繁盛した。その元結（もっとい）を撚（よ）る「端切らず」という紙が多量に出る。つまりは廃物利用というわけでしょうね。
　三角に切るのには、理由があった。和紙の重さと、三角の平方体が落ちる際に受ける空気の抵抗が、力学的に釣合っているからという。果たして目籠に入れて綱を引くと、本物と見紛うほどにちらちらと舞って風情がある。
　「忠臣蔵」九段目や「八百屋お七」などの見せ場では、霏々と降らせる。だから趣きが違うのよと友人に見せびらかせるつもりで、先日、芝居がはねてからこの雪を拾ってみた。南無三、三角ではなくて四角になっていた。ちょっと寂しかった。（挿絵・川浪進）]]>
        
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    <title>芝居ぎらい</title>
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    <published>2008-11-14T07:44:51Z</published>
    <updated>2009-07-17T01:43:47Z</updated>
    
    <summary>　へえ歌舞伎（しばや）がお好きですって？　そりゃまァ、なんと物好きなことで。いえ、正直な話、あんなもなァ早晩なくなるにきまってます。だってそうでござんしょ。当世の娯楽は黙ってたって...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/assets_c/2009/07/20081114-1151.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/assets_c/2009/07/20081114-1151.php','popup','width=345,height=470,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/assets_c/2009/07/20081114-thumb-150x204-1151.jpg" width="150" height="204" alt="20081114.jpg" class="mt-image-none" style="" /></a></span>　へえ歌舞伎（しばや）がお好きですって？　そりゃまァ、なんと物好きなことで。いえ、正直な話、あんなもなァ早晩なくなるにきまってます。だってそうでござんしょ。当世の娯楽は黙ってたって夢中になるものばかしで、こんなかったるい芝居を我慢して見るこたァない、とあたしゃ思うんですよ。ほう、行く前に色々とお勉強なさる？　なるほど、けどそんなに全部わかろうとされないほうが愉しめるんじゃござんせんか。そりゃァ粗筋が判ったり約束ごとを知ってるほうが、より深く身近になるってんでしょうが、どうもねえ。それ研究だの蜂の頭だのと、細々とやり過ぎるとお疲れになる気がするんですが、え、あ、やっぱりそうでござんしょ。そういう垣根をとっぱらって、子どもみてぇな目で眺めるほうが面白うございますよ、きっと。芝居を学問にしちゃっちゃァ、いけません。
　こないだ聞いたんですが、外国へ持っていってさっぱり受けないお芝居ってのは何か、ご存じでござんすか。「車引」と「道成寺」と、それからもうひとォつ「勧進帳」なんだそうでございます。ええ、この頃はあんまりやり過ぎて、安宅の関をもじって、「またかの関」と揶揄されるあの出し物でござんすよ。
　まあ、判官贔屓が不評を買うのも、よんどころなしと思います。お国が違うと情緒やら忠誠心なんぞ、所詮わかりっこありませんやね。だって、外国（あちら）ではとにかく手前（てめえ）をひけらかさなくちゃいけないんでござんしょ。これも出来る、あれも出来るって。冗談じゃござんせんよ。
　そんなこたァ此方人等（こちとら）は、やらない。昔っから日本の美徳は人を思い遣るところにあるんでね。だって、弁慶が義経を折檻するなァ主人を守るためで、富樫はそれを察したからこそ主従を逃がしてやる。いい芝居でござんすよ。二人の駆け引き問答に七十づらをさげたいまでも、こんなに血が騒いじまうんですからね。言わぬが花って。いい言葉だねぇ、じつに。（挿絵・川浪進）]]>
        
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    <title>まァず、本日はこれぎり</title>
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    <published>2008-11-07T02:04:21Z</published>
    <updated>2008-11-07T02:28:51Z</updated>
    
    <summary>　ポール・ニューマンの訃報を聞いて、「明日に向って撃て」を見た。この映画はベトナム戦争で方向を見失ったアメリカを象徴し、混沌の中で息を吹き返したニューシネマの草分けといわれている。...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/200811071.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/200811071.php','popup','width=345,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081107-thumb.jpg" width="150" height="200" alt="" /></a>　ポール・ニューマンの訃報を聞いて、「明日に向って撃て」を見た。この映画はベトナム戦争で方向を見失ったアメリカを象徴し、混沌の中で息を吹き返したニューシネマの草分けといわれている。
　ロバート・レッドフォードとの凸凹コンビも魅力的で、男二人に女一人の構図が軽やかだった。それだけでも趣向なのに、幕切には驚いた。悲惨な死かと思いきや、蜂の巣に撃たれることなく画面が止まる。結末は多分そうなのだろうが、ご想像にお任せしますと下駄を預けたかたち。ああ、よかった。嬉しさのあまり「これは歌舞伎の絵面だ」と、拍手してしまった。
　歌舞伎では大詰を重要視しない。なるほど演劇の常道から見れば、外れているかもしれない。例えば曽我物は十郎五郎の仇討の話だが、芝居で繰り返されるのは「対面」の一幕ばかり。討つ方も討たれる方も同じ舞台でその綺羅を誇り、絵面で終わる。剣劇を期待する人は肩すかしを喰うだろう。
　「忠臣蔵」も討入りはほとんどカットされる。あれは高師直の白髪首をとるだけで、余情もへったくれもない。ただ若手の殺陣が見どころ、といってもいまさら新国劇の二番煎じでもあるまいし、誰も見ない。
　「髪結新三」はもっとすごい。大詰「閻魔堂橋」で弥太五郎源七との立廻りを見せると、闘っていた新三と仲良く手をつき、「まァず、本日はこれぎり」と平伏するのである。
　座頭役者も、余り無様な姿を晒したくない。これは人情であろう。観客とて同じこと。出てきただけでゾクゾクするような二枚目の、光と影と憂いのある姿を見たいのである。さればこそ万難を排してホテルを予約し、飛行機、新幹線、船を乗り継いで、劇場に出かけるのである。劇評家がもっともらしく、古典には主題や観念や思想が不可欠、なんぞとごたくを並べても集客力にはならない。この幕切はお客の熱烈な要望から生まれたんでしょうね、きっと。（挿絵・川浪進）]]>
        
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    <title>恋文は天紅の手紙で</title>
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    <published>2008-10-31T01:51:18Z</published>
    <updated>2008-10-31T01:53:23Z</updated>
    
    <summary>　一日、左京区黒谷の金戒（こんかい）光明寺で、長唄舞踊の「雨の五郎」を見物した。上方の歌舞伎役者、片岡愛之助の立方である。 　「雨の降る夜も雪の日も」から「とかく霞むが春の癖」の優...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081031.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081031.php','popup','width=343,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081031-thumb.jpg" width="149" height="200" alt="" /></a>　一日、左京区黒谷の金戒（こんかい）光明寺で、長唄舞踊の「雨の五郎」を見物した。上方の歌舞伎役者、片岡愛之助の立方である。
　「雨の降る夜も雪の日も」から「とかく霞むが春の癖」の優しさに加えて、二上がりの「藪の鶯」の軽やかな手踊りが眼目である。　なるほど、時分の花を武器にした愛之助の五郎は、見とれるほどだった。芸を自家薬籠中のものにすると、こんなにも華やかさが横溢するものか。閑雅な寺の大方丈は、ひたひたと快楽が立ち籠め、眼福の一夜になった。
　曽我十郎五郎の兄弟の仇討ものは、歌舞伎でも様々な題材になっている。歌舞伎十八番の「助六」も実は曽我五郎時致であり、江戸の庶民は超人的英雄として、手を易え品を易え、彼らを祀り上げてきた。
　「雨の五郎」は俗に「廓通いの五郎」とも呼ばれ、大磯から始まり、浅草観音の開帳で賑やかにシメる舞踊である。愛之助は黒繻子地綿入に金糸色糸の大蝶飛び模様を東からげに着付け、素足に塗下駄、むきみ隈に紫縮緬冠という扮装がよく似合っていた。
　荒若衆という勇壮さを残しつつ、懐から取り出す天紅（てんべに）の文が何とも色っぽい。天紅とは巻紙の上の方を紅色に染めたもので、これで恋しい人に手紙を認（したた）めると、その気持ちがひしひしと伝わる仕掛けになっている。そう、恋を実らせたいあなた。一度、お試しあれ。効き目は請け合いましょう。
　この踊りで、もう一つ物をいうのは傘である。助六の傘は雨ではなく花を受けるためだが、この五郎は春雨を避けるために差す。その風情が実にいい。愛人の化粧坂（けわいざか）少将の許に通う道具立てを、これだけすっきり仕立てた先人の工夫に唸るばかり。
　雨男、雨女は嫌われるが、易学では「龍を招く強運の持ち主」と称賛されているとか。まことに、五郎の水もしたたる男振りには、雨もまたよろしである。（挿絵・市川猿之助の五郎・川浪進）]]>
        
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    <title>歌舞伎の舞と踊</title>
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    <published>2008-10-31T00:54:17Z</published>
    <updated>2008-10-31T02:05:04Z</updated>
    
    <summary>　歌舞伎舞踊には定型がある。 　一、置（オキ）前奏部分。人は登場しない 　二、出端（デハ、またはデ）舞台や花道から人物が出てくる。 　三、口説き（クドキ）。愛情告白で、一曲の主眼と...</summary>
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        　歌舞伎舞踊には定型がある。
　一、置（オキ）前奏部分。人は登場しない
　二、出端（デハ、またはデ）舞台や花道から人物が出てくる。
　三、口説き（クドキ）。愛情告白で、一曲の主眼となるところ。
　四、語り。踊り手が過去を再現して踊る。
　五、踊り地。鳴り物に太鼓などが加わり、総踊りや立廻りになる。
　六、チラシ。段切の部分。幕切れの絵面へ向かって、早間で華やかに盛り上げる。
　以上のような順になっている。中には、欠けたり重複したり逆になったりという変化もあるが、普通はこういう型である。
　ひとくちに舞踊というが、これは明治期の新造語で、本来「舞（まい）」と「踊（おどり）」は違うものである。舞はぐるぐると旋回するものだし、踊は飛び上がる跳躍運動と言えばわかりやすいだろうか。ここに「振り（身振り、しぐさ、物真似）」を加えると歌舞伎舞踊が成り立つ。
        
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    <title>うどんか蕎麦か</title>
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    <published>2008-10-24T00:52:12Z</published>
    <updated>2008-10-24T02:00:54Z</updated>
    
    <summary>「昼飯なんにします？　たぐりましょうか」 　東京の友人にそう言われて、小首をかしげたことがある。手繰るとは何ぞや。 「あれっ、関西では言いませんか」 　蕎麦を食べることだとは、知ら...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081024.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081024.php','popup','width=345,height=459,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081024-thumb.jpg" width="150" height="199" alt="" /></a>「昼飯なんにします？　たぐりましょうか」
　東京の友人にそう言われて、小首をかしげたことがある。手繰るとは何ぞや。
「あれっ、関西では言いませんか」
　蕎麦を食べることだとは、知らなかった。聞けば寄席仲間の隠語だという。そういえば、上方落語の「時うどん」の焼き直しが「時そば」だから、関東は蕎麦一筋なのだろう。
　蕎麦が出る歌舞伎は、黙阿弥の「雪暮夜入谷畦道」が極め付きである。主役の片岡直次郎は色男の代名詞だが、ここで見せる蕎麦の食べ方こそ江戸っ子の神髄といわれている。かけ蕎麦だが、とにかくその啜り込み方に色気がある。しかも本物の蕎麦、ときている。劇場近くの蕎麦屋が舞台の時間を見計らって毎日届けているのだった。
　蕎麦の食べ方ほど侃々諤々やかましいものはない。漱石の猫では「ツユを三分一つけて一口に飲んでしまうんだね。噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉を滑り込むところがねうちだよ」と、かの迷亭先生が蘊蓄を傾けている。五代目菊五郎がこの直次郎をやった時、己を際立たせるために、幕開きの岡っ引きにわざと、ぐちゃぐちゃ食べるよう命じたという。なるほど物事は比較で、よくみえるものだ。さすがに名人は目のつけどころが違うんですね。
　当時の行灯には「二八蕎麦」という文字があった。なぜ二八蕎麦なのか。これは、一杯の値段が二八の十六文だからというのと、江戸風の小麦粉つなぎが二、蕎麦粉が八だからという二通りの説がある。
　可笑しなもので、さして食べたいとも思わないのに、目の前でするすると蕎麦を啜られると、矢も盾もたまらなくなるのが世の常。この芝居のあとでは、必ず蕎麦屋が繁盛したという。ともあれ、色男が啜るのは、うどんではない。やっぱり粋な蕎麦に限る、というのが関西人にとって無念なところではある。<span class="gray" style="display:block;margin:5px 0;">暗がりの南座隣り晦日そば　谷口八星</span>（挿絵・川浪進）]]>
        
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    <title>忠臣蔵異聞</title>
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    <published>2008-10-17T03:22:50Z</published>
    <updated>2008-10-24T00:59:11Z</updated>
    
    <summary>　元ＮＨＫ交響楽団の常任指揮者だった、ホルスト・シュタイン氏が亡くなった。大村益次郎を思わせるような鉢の張った頭が印象的だが、その繊細な音の響きは忘れ難いものがある。カラヤンやバー...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/200810171.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/200810171.php','popup','width=345,height=444,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081017-thumb.jpg" width="150" height="193" alt="" /></a>　元ＮＨＫ交響楽団の常任指揮者だった、ホルスト・シュタイン氏が亡くなった。大村益次郎を思わせるような鉢の張った頭が印象的だが、その繊細な音の響きは忘れ難いものがある。カラヤンやバーンスタインは、見た目の華やかさで管弦楽を魅了したが、彼は違う。むしろ観客席からは見えない、裏のオーケストラピットでその実力のほどを示した。
　仮名手本忠臣蔵の四段目は、古くから「通（とお）さん場」という。ここは判官切腹、焼香と続くので、茶屋から運ぶ弁当、菓子、茶などはもとより、遅れてきた客は場内に入ることができない。オペラなどと違って歌舞伎は普通、途中からでも出入り自由なのだが、この一幕に限り厳しく制限されている。静寂が命の場面だからである。
　検使役二人と判官、力弥と家来だけの舞台。しんと静まり返っているのに、明らかに大勢の人の気配がする。しかし銀襖に人の姿はない。やがて「大星由良之助参らるるまで、一人も御対面は叶いませぬぞ」というところで、襖の奥から嗚咽がもれる。その響きは舞台から地面を伝い、なんと客席の足の裏にまでズズズと響くのである。実は誰もいないと思っていた襖のむこうに、大勢の諸士たちが平伏していたのだった。彼らは衣裳鬘をきちんとつけて舞台下手に居並び、皆々聞き耳を立てている。「すりゃ御対面は叶いませぬとな」で声を合わせウ、ウーッとすすり泣きをはじめる。二十人ほどの男たちが肩衣を震わせ歔欷（きょき）する有様は小波のように広がり、やがて地の底を震わせてゆくのである。客席から見えない裏にこれほどの人間が関わっているとは。こういうコクこそ、後世に残る芸の味なのだろう。
　情熱的で、ぎゅっと絞れば作曲家の心が滴る演奏。ホルスト・シュタイン氏のタクトは見えない裏の地底をすくい上げて音を紡いできたのではなかったか。不意に、胸のつまる思いがした。（挿絵・川浪進）]]>
        
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    <title>金銭をいうにはあらず</title>
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    <published>2008-10-10T02:35:25Z</published>
    <updated>2008-10-10T02:40:26Z</updated>
    
    <summary>　鼠、蛸、猪、犬、蝦蟇、馬等々。この動物たちは、大部屋の役者さん達の持ち役である。人間が装束を着て演じるのは、歌舞伎独得のおおどかな様式美といえる。なかでも馬の足。この人達がいなけ...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081010.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081010.php','popup','width=345,height=424,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081010-thumb.jpg" width="150" height="184" alt="" /></a>　鼠、蛸、猪、犬、蝦蟇、馬等々。この動物たちは、大部屋の役者さん達の持ち役である。人間が装束を着て演じるのは、歌舞伎独得のおおどかな様式美といえる。なかでも馬の足。この人達がいなければ舞台は全く成り立たない。意気でイナセで、そうして己を消すことに命をかける大部屋さんこそ真の名優といっていいのではないか。
　さて、馬が活躍する狂言は「一谷嫩軍記」「実盛物語」「塩原多助」など、幾つも指を折ることができる。通常、馬は作り物の頭と胴体の中に前足と後足の二人の役者が入る。この二人の息が合っていないと胴体は傾き、主役が落馬の憂き目をみたりする。前足は首を支え、後足は胴体の釣合いを取る。外はほとんど見えず、首と腹に紗を貼った小さな窓があるだけ。そういえば「近江のお兼」では、花道から馬が落下してしまったことがあった。
　当然のことながら、この馬の足は重労働である。何しろ、馬自体の重さに加えて、鞍、鐙（あぶみ）、轡（くつわ）で4、50キロ余り。その上に鎧の武士が跨がるのだから、優に120キロは超える。「実盛」では更に子役を一人加えるので、その重さは吐き気を催す程だという。しかも、ただ人を乗せるだけではない。幕切れでは、主役を喰うほどの演技力がいる。まず、実盛が手綱捌きをみせるが、馬は知らん顔をしている。さらに促すのに、ふんと横をむく。見物も一笑して、思わず身を乗り出すところだ。困った実盛が気合を入れ直すと、今度は一転して嘶き、見違えるような駿馬となって花道を引っ込んでゆく。その鮮やかなこと。こういう阿吽の呼吸と、巧みな芝居心がないと、馬の足も務まらないのである。某劇評家は「間の取り方、音曲の心得、素早い機転が必須で、乗っている主役以上の伎倆がいる」と断言したものだ。一朝一夕では出来ないこの役には、特別手当が付く。その名も「飼葉料」。なかなかしゃれているではありませんか。（挿絵・川浪進）]]>
        
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    <title>一人語り</title>
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    <published>2008-10-03T04:05:11Z</published>
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/200810031.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/200810031.php','popup','width=358,height=460,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20081003-thumb.jpg" width="150" height="192" alt="一人語り" /></a>　どして海老さまはこんなにいい男なんでしょ。よだれが出るくらい。貴女、そうお思いになりません？　可笑しいでしょ。こうみえても、わたくし八十二になります。お若い、矍鑠（かくしゃく）としている？　ご冗談ばっかり。もう、立派なお婆さんですよ。はあ、この派手なピンクのスーツは皺隠し。暗い色を着ると影が目立ちますでしょ。
　ええ、病院通いも毎日ですけれど、それが貴女、こうやってお芝居に参りますと腰がぴんと伸びて元気になるんでございますよ、本当に。今月も、ああ、海老さまに逢えると思うと、お恥しい話ですけれど、一週間も前からそわそわ、浮き浮き。何を着て行こうか、指環、耳輪、首飾、手提鞄はどれにしようか、靴は勿論おろしたてでと、まるで子どもの遠足を待つような日々でございます。
　歌舞伎には、それはもう娘の頃から通っておりますですよ。十五代目羽左衛門や六代目菊五郎など、幼心にはっきりと覚えております。でもね、戦後すぐの海老さまを見た時のあの、雷に打たれたような衝撃は忘れられない。わたくしも若うございましたし、一途に思い詰めて、せっせと劇場に日参いたしました。一等席を一回じゃ物足りず、三等席を幾枚も買って、呆れ顔の親を後目に出かけたもんです。けれど海老さまが十一代目團十郎を襲名して悦んだのも束の間でございました。その余韻も醒めやらぬうちに、儚（はかな）くなってしまった時は惘然。泣きました。咲き誇った牡丹が一時に散った気がいたしました。落涙。
　でも長生きの余祿でしょうか。そのお孫さんがマア生写しじゃぁございませんか。十一代目さんは骨太、今の海老さまは優男の違いはありますけれど、美男ここにありというお顔は同じ。神や仏が海老さま贔屓を憐れんで、差遣わして下さったのだと信じておりますですよ。今わたくしは幸せ。理屈抜きの幸せって、殿方にはお分かりにならないでしょうけれどねえ。ホホホ。（挿絵・川浪進）

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    <title>ずぼんぼ</title>
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    <published>2008-09-29T01:23:21Z</published>
    <updated>2008-09-29T02:15:10Z</updated>
    
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080929.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080929.php','popup','width=345,height=428,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080929-thumb.jpg" width="150" height="186" alt="ずぼんぼ" /></a>　聞き慣れない言葉である。なに、これ？　と首を傾げる方も少なくないのでは。何を隠そう、（そんなに大上段に構えなくてもいいんですが）江戸の郷土玩具の名前である。
　まず、半紙に好みの顔を描き、四隅に一寸幅の長い紙の足をつける。さらにその先にシジミの貝殻を貼り付けて出来上がり。円く輪になった人々が、
　　ずぼんぼや　ずぼんぼや
　　ずぼんぼ腹立ちゃ　つら憎や
　　池のどん亀　なりゃこそ
　　ささの相手に　ヤレコレずぼんぼや
と囃しながら、団扇で煽ぐ。薄い紙のおもちゃのことであるから、ずぼんぼは、あちらへ飛び、こちらへ動く。ふわふわ舞った末に、ぴたりと張り付かれた人が負け、という単純な遊びである。
　ここまでくると、もうおわかりですね。そう、「鳴神」の白雲、黒雲坊の引っ込みの踊りがまさにこれをひとひねりしたもの。かなり卑猥な言葉も含み、もとは酒間の遊びだったことがわかる。おもちゃ自体は今でも浅草の仲見世で売られているという。
　幸田文の「父・こんなこと」の中に出て来るずぼんぼは、露伴が「目がぎょろぎょろ」と「変な顔」を描いたとある。団扇で煽ぐとその変な顔は珍妙に崩れたそうだから、それだけでも子ども達は大いに喜んだと思われる。ずぼんぼの合いの手は一説によると、江戸の町人の獅子舞の囃子詞という。紙を使って、風を頼りに飛翔するさまは、一種呪術の領域になるのかもしれない。
　獅子舞、祭とくれば、神の依代を必要とする。紙（神）が張り付く者こそ巫女（シャーマン）であり、それが神憑りのしるしと思えば何やらありがたいではないか。子どもの遊びのもとをたどると、意外な変貌に気付いて推理小説を読むような愉さを味あわせてくれる。（挿絵・川浪進）]]>
        
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    <title>十三代目片岡仁左衛門</title>
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    <published>2008-09-22T01:19:31Z</published>
    <updated>2008-09-22T01:21:51Z</updated>
    
    <summary>　当代屈指の名優、十五代目仁左衛門の父である。この十三代目のドキュメンタリー映画が大阪で上映された。全六巻、十一時間近い大作で、朝の九時半から夜の十時まで。羽田澄子監督の畢生の記録...</summary>
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        <name>京都民報社</name>
        
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        <category term="1010_歌舞伎のツボ" />
    
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        <![CDATA[<a href="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080922.php" onclick="window.open('http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080922.php','popup','width=345,height=450,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.kyoto-minpo.net/kabuki/photo/20080922-thumb.jpg" width="150" height="195" alt="" /></a>　当代屈指の名優、十五代目仁左衛門の父である。この十三代目のドキュメンタリー映画が大阪で上映された。全六巻、十一時間近い大作で、朝の九時半から夜の十時まで。羽田澄子監督の畢生の記録映画だった。
　仁左衛門は晩年、緑内障を患い失明する。それでも舞台に立ち続けたのは、己が吸収した芸を次の世代に渡す、という使命感があったからに違いない。十三代目は青年時代、東西の名優達に可愛がられ、薫陶を受ける。造詣の深さは他に並ぶ者なしと言われた。
　歌舞伎役者の芸は代々、文字ではなく人間の身体で写し取られていく。見様見真似からはじまり、口伝、奥伝、秘伝を咀嚼して舞台にのせる。それが基本である。手間隙のかかることではあるが、肌身に染みついたものは、一生消え失せるものではない。さらに時代も運命もまるごと引き受けつつ、己の肉体が滅びる前に、それを若い世代に注ぎ込まねばならない。
　例えば、上方の若手役者達の「若鮎の会」で実技指導をしている姿の、恐ろしいまでの根気よさ。鼻濁音が出来ない役者に向って、「が、が違う」と手本を示しながら、何度もダメ出しをしている。大きな徳利を傾ける仁左衛門に対し、受け手の杯はあまりにも小さい。それでも怯むことなく、さあ、さあと至芸の酒を注いでいる。その滴りはぽたぽたと画面からこぼれ、裾を濡らす。ああ、もったいない。「誰か、しっかりと受け止めてあげて」と叫びたくなった。十三代目は九十歳で亡くなるまで、その精力的な姿勢を崩そうとしなかった。深い感動が心をよぎる。
　新幹線が出来たとき、仁左衛門は不思議そうに言ったという。「乗せてくれる時間が短こうなって、なんで料金が高うなるんや」
　ただ早ければいいのか。旅を愉しむゆとりはどこへいったのか。味わうべき言葉に思える。（挿絵・川浪進）]]>
        
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