京都民報
なるほど京都

京のお人形

人形寺・宝鏡寺学芸員が語る、京のお人形話あれこれ。

著者:田中正流

丑(うし)の土鈴

丑の土鈴  あけましておめでとうございます。年始めということで本年の干支である丑(うし)の土鈴を紹介します。
  一昨年は猪で護王神社、昨年はねずみで大豊神社、本年は牛で北野天満宮というように、毎年干支の神社へお参りする方が多くおられます。
  北野天満宮にはたくさんの牛の像があります。理由として祭神である菅原道真公に牛にまつわる話が数多くあるためです。
  それでは牛との関連に触れながら道真公の生涯を紹介していきたいと思います。道真公は承和12(845)年6月25日に誕生します。この年がちょうど丑年であり、丑月丑日丑の刻に生まれたという伝承があります。幼少より詩歌に優れ、33歳の時に文章博士に任命されます。宇多天皇に重用されることにより右大臣、左大臣にまで昇りましたが、藤原時平に陥れられ大宰府へ権帥として左遷、延喜3(903)年2月25日に薨去されてしまいます。御遺言に「遺骸を牛車にのせて人に曳かせず、牛の赴くところにとどめよ」と仰せられ、その牛が座り込んで動かなくなったためその付近にあった安楽寺(現在の太宰府天満宮)に埋葬されたとされています。またもう一つ説があり、道真公の遺骸を都まで送ろうとしましたが、大宰府から外れた所で牛車を曳いていた牛が動かなくなったため、そこに留まりたいという死者の遺志によるものと考え、安楽寺に埋葬されたというものです。
  どちらの説が正しいにしろ、牛車を曳いていた牛が座り込んだという故事により北野天満宮の境内各所にある神牛の像は横たわった臥牛の姿となっています。道真公が天神様になられると、この牛車を曳いていた牛も神使となり、縁起物も神牛を象ったものが多く授与されています。
  写真の神牛土鈴は北野天満宮で授与されているもので、黒い方が以前からあるもの、白いものが今年から新しく授与されるものです。丑年ということで新しく白い神牛土鈴が依頼されました。両方とも嵯峨野で土鈴を制作販売している三代目井浦狂阿弥氏の作です。昭和初期頃から落柿舎の斜向かいに店を構えている人形や土鈴を販売しています。家の裏にある窯で焼いた土鈴は、素朴な音色と鮮やかな色彩など、どこか懐かしい雰囲気が魅力です。
  余談ですが、北野天満宮の拝殿の欄間の彫刻には珍しく立った神牛が刻まれています。北野天満宮の七不思議の一つにも数えられ、なぜ一頭だけ立像の牛があるのか興味深いものです。道真公の誕生日と命日が25日でこの日にちなみ毎月25日は天神市という縁日があります。特に年始めの1月25日は初天神と呼び、毎年多数の参拝者で賑わっています。授与品の神牛土鈴や立牛の彫刻などをぜひご覧になって下さい。

写真:北野天満宮「神牛土鈴」 筆者所蔵