京都民報
なるほど京都

京のお人形

人形寺・宝鏡寺学芸員が語る、京のお人形話あれこれ。

著者:田中正流

猩々(しょうじょう)人形

猩々人形 全身が赤ずくめのこの人形は猩々人形といい、天保4(1833)年に霊厳理欽(れいごんりきん)尼が十歳のおり、疱瘡(ほうそう)見舞いとして父君である光格天皇より拝領された御品となります。
 朱色の長い髪に笑みをたたえた赤い童顔をしており、白襟を重ね紅の幸菱(さいわいびし)の浮織物の着付けに緋の大口袴、紅地金襴の唐織を壺織りにつけた本格的な能楽の装束を身につけています。これは「猩々」という祝言の曲での舞姿をあらわしています。
  猩々というのは、中国では朱色の長い毛で覆われた猿に似た身体をしている酒を好む想像上の動物のことをいいますが、日本では汲めども尽きない酒が湧き出す酒甕を持っている海中の福神であり、赤い髪の童子姿をしています。
 この猩々が江戸時代の半ばには、疱瘡の見舞い品として贈られるようになります。元禄16(1703)年に序のある香月牛山(かつきぎゅうざん)という医師の書いた『小児必用養育艸(しょうにひつようそだてくさ)』という育児書では、黒い痘(もがさ)は命の危険があり赤い痘は治りが良いとされていることから赤色にあやかるため、部屋を赤一色にし、病人や見舞い人にまで赤い衣を着るように指導しています。そのため見舞い品として赤一色の猩々人形や達磨、ミミズクの玩具などが喜ばれたようです。
 江戸時代後期になると医学も進歩してきましたが、まだまだ民間療法も信じられた時代です。理欽尼の場合も医師の治療と共に、春日神社に加持祈祷も依頼しています。また御見舞品として、紹介している猩々人形以外にも四十箱もの人形が贈られています。3年前の天保元(1830)年に姉宮である玉鑑永潤(ぎょくかんえいじゅん)尼がわずか11歳で疱瘡のためお隠れになっており、なんとかして軽くすまそうと最善を尽くしたのでしょう。その甲斐もあって大変軽く治癒しました。
 この恐ろしい疫病である疱瘡は、WHO(世界保健機関)によって昭和42(1967)年に根絶計画が開始され、昭和55(1980)年5月の世界保健総会において根絶宣言が出され、現在では地上から完全に消滅しています。
 最近では新型インフルエンザの心配がでてきましたが、WHOにより研究が進められています。疱瘡と同様に根絶宣言がそのうち出されることでしょう。それよりも生活習慣病の方が怖いかもしれません。身近な問題として実際に低年齢化も進んでおり中高生で死亡する子供もでてきています。子を想う親の気持ちは江戸時代も現代も変わらないと思います。時には愛情を持って叱ってあげましょう。

写真:猩々人形(衣装人形)宝鏡寺門跡所蔵