京都民報
なるほど京都

京のお人形

人形寺・宝鏡寺学芸員が語る、京のお人形話あれこれ。

著者:田中正流

祇園祭山鉾の人形作者

祇園祭 一般に7月17日の山鉾巡行が祇園祭のハイライトと呼ばれています。しかし実は神事が31日まで続けられていることをご存じでしょうか。本来の神社の神事である17日の神幸祭や24日の還幸祭での神輿渡御、28日の神輿洗い、31日の疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしまつり)など祇園祭の見所は多くあります。
  お稚児さんも長刀鉾の稚児がよくメディアに出てきますが、久世駒形稚児という方もおられます。神様のお使いである長刀鉾の稚児と違い、久世駒形稚児は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒御魂(あらみたま)と一体となり、神の化身そのものとなられます。ですから八坂神社の境内では長刀鉾の稚児は下馬しなければいけませんが、久世駒形稚児は騎馬のまま本殿へ乗り付けるのです。まだまだ知られざる祇園祭の魅力はたくさんあるのです。祇園祭の山鉾の人形もその一つです。
  山鉾の人形については、いままで個別に紹介してきましたが、今回はその全体的な傾向をまとめたいと思います。
  まず山と鉾では人形の性格が違います。山の人形は基本的に神の依り代として様々な姿をしています。多くは中国や日本の伝説や歴史上の人物をあらわしています。作者には大きく二つの系統があります。仏師の手になるものと、山車人形師または彫刻師の手になるものです。現存する人形で古いものは室町時代末期にまで遡れます。仏師康運の制作した橋弁慶山や芦刈山の人形には、天文6(1567)年の銘があります。天明8(1788)年の大火で焼失した山鉾が多くある中、よく残されたと感心します。他に仏師系統で古作なのは、享保7(1722)年に忠円により制作された山伏山や作者はわかりませんが寛政元(1789)年に制作された保昌山・黒主山の人形などがあげられます。
  一方、鉾の人形は基本的に生き稚児の代用として制作されたものとなります。稚児の中で一番早くに人形に変わったのは函谷鉾です。天保10(1839)年に仏師七条左京により作られました。稚児人形は嘉多丸と呼ばれ、鉾に乗る予定であった一条実良卿をモデルにして制作されたものです。他の鉾も様々な理由から稚児が人形に変わっていきました。                          

       
鉾 名 製作年代 人形名 人形制作者
函谷鉾 天保10年(1839) 嘉多丸 七条左京
鶏 鉾 文久3年(1863) 不詳 山下源光好
月 鉾 明治45年(1912) 於兎麿 九世伊東久重
放下鉾 昭和4年(1929) 三光丸 大木人形店・面庄
菊水鉾 昭和31年(1955) 菊丸 守口源次郎(松屋)・面竹

 山の人形と違い、鉾の人形は生き稚児の代用という性格があります。名前も命名され、写実的に作られています。稚児舞いを舞うことのできる人形もあります。また本当の稚児のように会所での服装と巡行時の服装は違います。ですからリアルさを求められ、生き稚児のように神聖なものとして扱われます。