脱線古事記

〈9〉漢字の部品

 ちゅう事で、「天地初発」を漢字の原義で読むと「天地が(主語)初めてヨーイドンと走り出した」となります。つまりそれまでも存在した天地が、それまでは寝てたんか死んでたんか知らんけどじっとしてて、或(ある)時のこのこ動き出したちゅう書き出しどすにゃな。

甲骨文字
イラスト・中村洋子

 この読みなら「発」を今の意味で読んでも大きな違いはおへんけど、矢が弓から射られる瞬間ちゅう文字の本来の意味を知ってもらうと、読んで受ける感慨はちょっと違てくるのやおへんか。
 さ、それで、こういう漢字の原義の話をするとなると、皆さんにほんのちょっとだけ、漢字の構造の事を知っといて欲しおす。前述のとおり「古漢字典」では詳しい解いてますにゃけど、さっと申してみまひょ。
 漢字はすべて部品で出来てます。これは画数とは違います。部品の一つ一つを何かの記号と捉えた時、例えば前述の「吉」なら上半が武具を表す記号、下半がこの字の場合は「くち」の記号。即ち部品数は二つ。
 「吉」の画数は六画やけど、これはずっと後に生れた楷書ちゅう書体での話やさかい、原義の解読には「関りのねえこって」と思たらよろし。そもそも古漢字の時代には、まだ画数とか筆順とかちゅう概念(考え)がおへなんだ。
 漢字の学では「人」「子」「口」「目」「木」「火」等の部品数一のもんを「文」と呼びます。そして「保」「学」「吹」「見」「本」「煽」のように部品二つ以上で構成されてるもんを「字」と言います。両方合せて「文字」。
 皆さんはそういう難しい事は知らんと、何と無う「文字」て言うたはると思いますが、別にそれでよろし。但し原義を知ろう、或は解読を試みるとなると、その文字が幾つの部品に解体出来るか、どんな部品が寄り集まってるかが大変大事になります。
 譬(たと)えば日常生活では目の前の水が水道水か、どぶの水かが問題になりますけど、化学なら水素分子と酸素分子に分解して考えるようなもんどす。
 次に、あらゆる漢字の部品は、ほんの少しのもんを除いて、どの部品も元へ元へと遡って行くと必ず何かの物の写生で出来てます。これも学では「象形」て言いますけど、この言葉も必ずしも憶えんでもよろし。
 この写生が何の写生かを特定出来たら、解読は大きい前進になります。後は部品と部品との組合せの意味が解ったら、原義に到達出来る理屈どす。
 けど、このリクツが曲者どすにゃ。例えば「口」。只今有名な白川静はんはこれを「祝告の器」の写生やて言わはります。他の学者はんの多くは「くち」の写生やて言わはります。さ、どっちや。
 これね、漢字だけ見てたらあきまへんにゃ。世界にはいろんな文字がおす。その全部て言うてええと思いますけど、文字の発生は生活に無けんならんさかい出来てます。そやさかいどの文字も初めに出来るのは「食う寝る所に住む所」、生活の基本に関る写生どす。「日」「月」「水」等。他に「目」「鼻」「口」「耳」「手」「足」等。それに“性”。
 漢字も人が、生活に必要やさかい造ったとすると、基本の文字に「くち」が無いのは余程特殊ちゅう事になりまっしゃろな。それで「呼」「吸」「吹」等に「口」が使われてます。けど一方で「谷」「尚」「合」等はとても「くち」とは言えしまへん。
 続きは次回のお楽しみ。

2010年4月 5日 10:19 |コメント0
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水野恵 プロフィール
篆刻家。1931年1月、京都市生まれ。江戸期から続く御用印判司「鮟鱇屈」の流れを継ぐ水野鮟鱇屈3代目。幼い頃から父の師河井章石に薫陶を受ける。京都府立大学文芸学科卒業後は、書を木村陽山に、篆刻は園田湖城に就いて学んだ。俳句や水彩画も手掛け、篆刻・書とともに文人として四絶を目指す。元佛教大学四条センター篆刻講座講師。
著書は、『日本篆刻物語 はんこの文化史』(芸艸堂)、『印章 篆刻のしおり』(芸艸堂)、『古漢辞典』(光村推古書院)など多数。

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