脱線古事記

〈2〉史書と歴史

 疑問の第二。『古事記』は史書どすか。小説どすか。
 今はどうなってるか知りまへんけど、ボクらは小学校以来、我国最古の小説は『源氏物語』て教わってきました。みんなそれを信じてたさかい、それより古い書物を小説やとは誰も思わなんだんどす。天照大神(アマテラスオオミカミ)の天(あま)の岩戸も神武天皇の金の鵄(とび)も、事実として歴史の授業で教えられたんどす。
 今や天の岩戸も金の鵄も史実やと思てる日本人は一人もおへんやろ。ほな『源氏物語』が最古の小説ちゅう話を疑う人はおへんのかいな。
 そもそも「最古」て何どすにゃ。法隆寺の幾つかの堂塔が世界最古の木造建築ちゅうのは、誰も疑わしまへんな。但(ただ)しこれは現存のちゅう話どすな。木造建築そのものは、もっと古うからあった事になってます。縄文や弥生の遺跡へ行ったら、木造建築はたんと復元されてます。
 又、最古の漢字、日本の稲作の始まり、人類の鉄器の使用、印章の発明等は発掘や研究によってコロコロ変わります。「最古」とは、どこまで行っても「今のところ」であり、確定の無いもんやおへんのかいな。
 ま「最古」は措いといて、もう一つ、『古事記』を史書か小説かで分けられるもんどすか。『日本後紀』『日本紀略』『太平記』等はどうどす? 「忠臣蔵」や吉川英治の『宮本武蔵』も、どこが事実でどこが作り噺(ばなし)やて判りますか。『我輩は猫である』は小説で異論おへんやろけど「魏志東夷伝倭人条」の全部を史実と思う人がおいやすのかいな。

ボクの家族
イラスト・中村洋子

 ボクの若い頃、我家に永らく居候してた親類の婆(ばあ)さんがいました。「およっさん」て言います。舅(しゅうと)、姑(しゅうとめ)、小舅(こじゅうと)、小姑(こじゅうとめ)、その友人、店の者、そこへこの婆さんで、おふくろが難儀してたんをよう憶(おぼ)えてます。
 およっさんの時代は小学校が4年制やけども、庶民の子はその4年でさえロクに行かへんもんどした。今の不登校と全然違います。家の手伝いせんと、やっていけへん時代どす。小学校出たら丁稚(でっち)か女中が当り前。およっさんもそういう人の一人どす。
 そやのに文字もよう知ってるし、歴史も詳しいし、自然科学系の知識も学歴以上。夫を助けて染物業を興し、10人余りの人を使う程やったんが、嫁との折合いが悪うて逃げて来てたんどす。
 この教養の仕入れ先を質(たず)ねた事がおす。現在の大学生はだしみたいなんが不思議やったさかい。最初の答えは「苦労したら勝手に身に着くにゃ」。次に「芝居と小説」。
 この「苦労」。何(いず)れこの連載で言う事になるやろ思いますけど、逆から言うてヌクヌク育ちのボンボン学者見たらよう解りまっしゃろ。学校の試験の成績みたいな事では秀才でも、大体は「学問のための学問」しか出来しまへんな。けど今はこの話、措いときまひょ。
 芝居、小説で知識や教養を仕入れたら、おかしい事もおすやろ。広重の東海道五十三次を鵜呑みにしたら、比叡山と愛宕山の認識を誤る事になります。ほな我々が金の鵄の教育をされたんはどうなります?
 仏教が何を言わんとしてるかは「般若心経」に簡潔且つ遺漏無う示されてると思うけど、その解釈は難しい。『維摩経(ゆいまぎょう)』なら小説みたいに楽しいて解り易おす。
 事程左様(さよう)に史書か小説かて、両端では区別出来ても、境目では滲みやボケがあると思いますけど、どうどっしゃろな。

2010年2月15日 10:00 |コメント0
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水野恵 プロフィール
篆刻家。1931年1月、京都市生まれ。江戸期から続く御用印判司「鮟鱇屈」の流れを継ぐ水野鮟鱇屈3代目。幼い頃から父の師河井章石に薫陶を受ける。京都府立大学文芸学科卒業後は、書を木村陽山に、篆刻は園田湖城に就いて学んだ。俳句や水彩画も手掛け、篆刻・書とともに文人として四絶を目指す。元佛教大学四条センター篆刻講座講師。
著書は、『日本篆刻物語 はんこの文化史』(芸艸堂)、『印章 篆刻のしおり』(芸艸堂)、『古漢辞典』(光村推古書院)など多数。

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