京童 十七文字のうた

太陽が日本へ出ると拝まれる

太陽が日本へ出ると拝まれる
 水府17歳の時の作品です。太陽は世界中を照らすのですが、農耕国の日本は特に太陽をあがめます。元日はことさら。明日は新年、初日の出があります。新しい気分で新年をお迎えください。一年間ご愛読ありがとうございました。
2009年12月31日 10:00 |コメント2
twitterでコメント
選者:八木勲 プロフィール
1939年、京都市生まれ。61年、同志社大学卒業後、広告会社に勤務。川柳を各紙に投稿し、98年、「今ワシは何党かねと秘書に聞き」の作品で「毎日新聞万能川柳年間大賞特別賞」を受賞。03年には「週間しんぶん京都民報」にエッセイ「川柳世相つれづれを」連載。著書に「一駅一章 世相あれこれ五七五」(新葉館出版)。「川柳瓦版の会」同人、「京都番傘」同人。08年から「週間しんぶん京都民報」の読者の文芸の選者を務める。
八木 勲の世界 「世相あれこれ五七五」川柳&冠句

京童 十七文字のうたの新着

コメント

 17才の時の川柳、凄いじゃありませんか。
前の職場にも「川柳好き」の人がおられました。最近は、川柳とデジカメ撮影に
凝っておられます。
 北区選出の浜田府議も「川柳好き」ですね。世情を見つめる目はなかなかのものです。もともと川柳は、俳句と違って権力者に対する皮肉ものが多いようですね。やんわりと「体制批判」をする手法だったように理解しています。
 川柳のいいところは、句にする対象が広いところです。自然も人間社会にも「題材」があるところがいいですね。俳句は、自然や真面目な生業ばかりが「題材」でした。政治安泰の江戸時代でした。(結果的には、世界の動きから『隔離』(鎖国政策)されてしまい、明治は混乱の時代となりました。
 時代とともに人の表現法は進化していくものと理解してきました。

 暫く、鏡石を自然・文化財として永く残したいと思うようになりました。室町や江戸前期には、鏡石の近くに今の賀茂川(三条~四条)のようなお茶屋さんがたくさんあったようです。
 どうも愛宕詣りの帰りに一日遊んで帰っておられたとか、聞きました。きっと鏡石を初めて見て、川柳などを作る人も多かったと察しております。

コメントを投稿

コメントは、京都民報Web編集局が承認するまで表示されません。
承認作業は平日の10時から18時の営業時間帯に行います。




メールアドレスは公開されません



京都の集会・行事