再刊行された、岩波文庫『奴隷』『工場』
機屋主人の孫・細井氏が尽力

 『女工哀史』の著者で知られる加悦町(現・与謝野町)出身の細井和喜蔵(わきぞう)の作品『奴隷』と続編『工場』が昨年、岩波文庫から、単行本としては90年ぶりに再刊行されました。

 細井和喜蔵は、1897(明治30)年、同町加悦奥で生まれました。幼くして両親、そして祖母を失ったため小学校5年で中退して、故郷・加悦の機屋「駒忠」で小僧として働くことになります。

 15歳で大阪の紡績工場などに勤めたのち、23歳で上京。東京モスリン亀戸工場で働きながら文筆活動を開始し、女工・堀としを(後に高井姓)と結婚。病気を主な理由に退職します。

 1925(大正14)年7月、命を削って書いた『女工哀史』が刊行されますが、1カ月後に結核と腹膜炎により、28歳の若さで世を去りました。

 『奴隷』『工場』と作品、集『無限の鐘』は彼の死後出版されました。『女工哀史』は現在も岩波文庫に入っていますが、『奴隷』『工場』は以後単行本として出版されることはありませんでした。

 両作の再出版を提案されたのは、和喜蔵が小僧として働いた機屋「駒忠」の主人の孫に当たる、細井忠俊さん(現在はカナダ在住)です。

 和喜蔵は小説『奴隷』の中で、「駒忠」を実名で登場させ、主人公江治(和喜蔵の分身)がそこでどんなに虐使されたかを克明に描写しています。にもかかわらず細井さんは、この両作の文学的価値を高く評価され、これを再び世に出すために大きく貢献されました。

 『奴隷』『工場』は、出版にあたって著者自身による推敲(すいこう)がなされることはなく、編集者による校正・校閲も不完全でした。今回、細井さんは、底本とした改造社版の原文をすべてデータ化するとともに、現代語表記に改めて誤りを逐一訂正し、膨大な注を付ける作業を担われました。その結果、見違えるように読みやすい作品に生まれ変わりました。

 私は、「解説」を担当させていただき、改めてその文学の持つ普遍性と、労働者作家ならではの「異色のリアリズム」のすごさを痛感しました。

現代にも通じる奴隷的労働実態

 90年間忘れられていたのも同然の和喜蔵作品が、なぜよみがえることになったのでしょうか。

 3年前、和喜蔵の妻・高井としをさんの著書『わたしの「女工哀史」』が岩波文庫として出版されました。出版に尽力されたのが文芸評論家の斎藤美奈子さんです。これに合わせ、東京新聞がとしをさんの特集を企画し、沢田千秋記者が丹後に取材に来られました。仕事の関係で長く与謝野町加悦地区(旧加悦町)に住んだ縁で、70年代から和喜蔵顕彰事業に関わる私が取材に応じました。

 細井忠俊さんの提案を受け、一昨年12月、私は沢田記者を介して斎藤さんに岩波の文庫編集部への働きかけを依頼。斎藤さん自身もこの和喜蔵の両作の文庫化に大賛成で、早速動いていただいた結果、昨年の1月には、早くも文庫化が決まりました。まるで夢のような展開でした。

労働者の解放を願って

 両作のどこが編集者らの胸を打ったのでしょうか。それは、和喜蔵の作品が労働の現場を描くリアリティにあふれ、非人間的な奴隷的労働に苦しむ労働者に寄り添い、それを強いる会社や、それを許す社会のあり様を、身を挺(てい)して告発しているからではないでしょうか。

 「働き方改革関連法」が成立し、かつ外国人技能研修生の労働が問題となる中、入管法改正が強行される現状を見ると、『奴隷』『工場』に描かれた女工たちの苛酷な労働実態は、100年経った今も克服されているとはいえません。

 人身売買同然の工女募集、法令無視の12~14時間労働、軟禁状態の寄宿舎、常態化したセクハラ、パワハラ、本人でなく指定下宿に支払われる賃金に強制預金、経費の無断天引き…。残念ながら当時行われたこれらの実態は、形を変えて今に引き継がれています。このため、彼の叫びが、90年を経ても新鮮な響きを持つのです。

 和喜蔵は、「奴隷」に等しい存在であった自分自身が、そこからどのように脱出し、自由な人間としての自覚を持つにいたったかを描くとともに、労働者全体が「奴隷」状態から脱することを願って作品に『奴隷』という題名をつけました。生まれ変わった『奴隷』『工場』が、多くの人に読まれることを願っています。