府知事選(3月22日告示、4月8日投票)で、自民党の国会議員や、山田知事らが蜷川虎三知事時代(1950~78年)について「開発が大きく遅れた」「共産党主導の暗い時代に戻すな」などとする攻撃を繰り返しています。こうした〝攻撃〟の背景や蜷川府政の意義について、新井進・日本共産党元府議団長に聞きました。

■「地方自治の灯台」高く評価/「縦の開発」で道路整備も/府民の声に応え先進施策

–蜷川府政から40年を経て、なぜこうした攻撃が行われるのでしょうか。

 蜷川知事が誕生したのは、日本国憲法が施行(1947年)されてから3年後で、地方自治という考えがまだ確立していない状況でしたが、蜷川さんは、「地方自治とは住民自身の手で、住民の暮らしを守る組織」との立場に常に立ち、28年間府政を運営したのです。財界や政府言いなりの府政をつくりたい自民党や財界にとっては、もっとも都合の悪い地方自治が行われたのです。だからその復活をどうしても阻みたいという思惑があるからでしょう。

–蜷川府政は当時、どのように評価されていたのでしょうか。

 特徴的なのは、新聞2紙の社説です。
 蜷川さんが退陣表明した78年3月、毎日新聞は「蜷川京都府政の残した足跡」という社説を掲載。蜷川知事が「日本最初の革新知事として『革新の灯台』とまでいわれた」とし、地方自治法が施行されてから3年という時代にも関わらず蜷川知事は、「地方自治は『地域の住民が自分たちの暮らしを守るために、自分で組織し、自分で運営していくもの』として『住民』を地方自治の中心に据える態度を掲げた」と評価しています。そして「30年近くにもわたって『住民の暮らしを守る』地方自治の精神を貫き通したことに、何よりも大きな意義があった」とし、「『革新』というよりは『地方自治の灯台』と評価してもよいのではないか」と述べています。

 もう一つは、81年に蜷川さんが亡くなられた時の「朝日新聞」社説です。「『行政の職人』蜷川氏去る」とのタイトルで、「蜷川氏の政治理念の根幹は、『地方自治の本旨』を守ることにあった。その理念の根拠である憲法を暮らしに生かすために、練達の職人であろうとしたのだろう」としています。

 このように、地方自治、住民の暮らしを守る府政を行ったことが高く評価されています。こうした評価を認めたくない自民党議員らが行っているのは、根拠のないレッテル貼りに過ぎません。蜷川府政時代を知らない人が多くなっているので通用すると思っているのでしょう。

 –「京都縦貫道の整備に時間がかかったのは蜷川府政の影響」(自民党・伊吹文明衆院議員、3月10日の集会)など、府内の道路開発が遅れた元凶のように吹聴されていますが、実際はどうなのですか。

 これも全く事実と異なります。高度経済成長期の当時、国をあげて太平洋ベルト地帯の高速道路網の整備が進められました。その時に蜷川さんは、日本海側に面した舞鶴港の整備や長田野工業団地(福知山市)の整備を行い、それらを結ぶ道路整備など「縦の開発」を提唱しました。

 62年の府議会でも「京都府は縦の開発をやろう。丹後半島から南山城まで立派な道路をつけてきてその道路を中心にした開発をやっていく」と答弁しています。71年には、第2次京都府総合開発計画を策定し、道路整備計画のなかで自動車専用道路として、国道9号にほぼ並行する形で、京都~福知山~兵庫県を結ぶ山陰自動車道を、近畿自動車道舞鶴線などとともに盛り込んでいます。96年の京都縦貫道開通式典で配布された「概要」にも、蜷川知事時代の「74年に『整備計画発表』」と明記されています。

 –「一党一派に偏した、共産党に支配される知事」(自民党・二之湯智参院議員、10日の集会)などとして、「独裁」「暗黒政治」との攻撃もあります。

 これも全くのデマです。「一党一派」などではなく、府民のための府民の声に応えた先進的な施策が行われてきました。
 蜷川知事は業者の願いに応え中小企業支援策として無担保無保証融資制度の創設(66年)などを実施。農業では中山間地の多い京都にあった小規模圃場整備を進め、国の減反政策に反対し、安心して農業が続けられるよう「京都食管」や野菜の価格保証を行い、教育でも「15の春は泣かせない」と高校進学を広げ、「高校三原則」(小学区制・総合制・男女共学)を堅持しました。福祉の面でも65歳以上の老人医療費の無料化を73年から実施するなど、府民の営業と暮らしを守る独自の施策を進めてきたのです。

 財界に都合のいい府政にしたい人たちから見れば「言うことを聞かない。けしからん」との思いでしょうが、府民から見ると「私たちの願いに応えた府政」だと、府民みんなで守り28年も続いたのです。

 蜷川府政が「落城」してからは、財界奉仕、政府の言いなりの府政運営が行われました。その結果、「丹後リゾート開発」の破綻で、地元には借金と「跡地」だけが残りました。学研都市開発でももうけたのは土地を買い占めていたデベロッパーで、旧村地域が取り残されました。その上、市町村合併や保健所などの廃止強行、京丹後市への米軍基地配備、防災や環境を無視した亀岡スタジアム建設です。

 今回の選挙では国土交通省出身の中央官僚が擁立され、北陸新幹線延伸やリニア中央新幹線の呼び込み、南部の新名神高速道路開通と合わせての城陽市の東部丘陵地開発などが狙われています。

 いま求められているのは大型開発で財界に奉仕する府政ではありません。沖縄では翁長知事を先頭に米軍新基地建設に「オール沖縄」で政府に対峙しています。新潟では、県民と野党が協力して原発再稼働に反対する米山隆一氏を県知事に押し上げました。安倍政権の暴走のもとで、住民の安全・命を守る自治体が生まれています。蜷川府政の伝統を持つ京都でも、福山和人さんを知事に押し上げ、府民に寄り添った住民の手による住民のいのち・くらし守る府政の実現が求められているのではないでしょうか。

(写真上=1970年に「明るい民主府政をすすめる会」が発行した機関紙で、京都を縦断する道路計画などのインフラ整備、社会保障、中小企業支援などの政策を示したイラスト