東日本大震災・東京電力福島第一原発事故を受け、京都市から福島県南相馬市に移住し、被災者支援のための日本共産党ボランティアセンター・初代センター長を務めた故・宮前利明さん(今年3月、68歳で死去)を表彰する記念石碑の建立と植樹がこのほど、南相馬市のセンターで行われました。共に行動した人たちは「被災者に寄り添う宮前さんの献身的姿勢は党員魂そのもの。遺志を必ず受け継ぐ」と話し、決意を新たにします。

 記念樹、記念碑とも日本共産党南相馬市ボランティアセンターのシンボルとして、玄関前に設けられました。
 植樹は、城陽市から現地でのボランティアに参加し、宮前さんの活動を知った瘧師美智子さんの発案です。同じ市に住む宮前さんの姉・和田久代さん、住田勝美さんと3人が現地を訪れ、10月にハナミズキを植えました。

 記念碑は、植樹を受けてボランティアセンターが建立。大きさは高さ76㌢、幅36㌢、厚さ6㌢で、ハナミズキの花言葉「私の想いを受けて下さい」「宮前利明」などと刻まれています。京都からボランティアが来るのに合わせ、11月に除幕式が催されました。

 宮前さんは、2011年の震災後まもなく、ボランティアとして現地で活動。その後、党京都府委員会から党南地区委員会・生活相談所での約10年間の活動ぶりを買われ、センターの交替制スタッフとなりました。12年4月には、専従常駐スタッフとなり、センター長を務めました。

 「原発を設置した東電、国を相手に、闘いは長くなる。骨を埋める覚悟がいる」。京都の住まいを引き払い、住民票を南相馬市に移しての活動でした。しかし昨春に病気で体調を崩し、やむを得ず昨年10月に退職。京都市に戻り、今年3月に亡くなりました。

 約5年間の現地での活動はさまざま。のべ2万人におよぶボランティアの受け入れ準備や支援物資を少しでも早く届けるための仕分けで、夜中まで作業したこともありました。仮設住宅を一軒一軒訪問して丁寧に要望を聞き、宮前さんの励ましで自殺を思いとどまった人もいました。

 党福島県委員会被災者救援対策本部長の野口徹郎さんはこう話します。「手間を惜しまない活動は、被災者からも全国から来るボランティアからも信頼される存在でした。住民の苦難に寄り添うという共産党党員のあり方を教えられた気がします」

 荒木千恵子・党南相馬市議は「感謝しても感謝しきれない。私たちにとって神様でした」と話します。
 志半ばで亡くなった宮前さんへの思いを、福島県出身の参議院議員の岩渕友さんはブログにつづりました。「遺志を引き継ぎ、(国の)原発再稼働と福島切り捨てを許さない闘いに力をつくす」

 前出の和田さんは「福島も京都も思いは一緒。弟が架け橋となり、共に頑張っていければ」と目をうるませ、話しました。

(写真=宮嶋、西山両木津川市議ら、京都からボランティアが訪れたのに合わせて行われた記念碑の除幕式〔11月5日・福島県南相馬市の日本共産党南相馬ボランティアセンター〕)

(「週刊京都民報」12月17日付より)