「山科戦争展実行委員会」など3団体が主催し、核兵器禁止条約の歴史的意義を学ぶ報告会が8月13日、京都市山科区の本願寺山科別院で開かれました。日本共産党の代表団として同条約交渉会議に参加した井上哲士参院議員の報告の要旨を紹介します。

■「核兵器は違法」太い論理/草の根の運動が動かした

 日本共産党は3月の第一会期、6月の第二会期それぞれに代表団を派遣しました。唯一、日本の政界を代表しての参加となりました。
 核兵器を違法化する条約が初めて採択された瞬間、その場に居合わせ、本当に感動でした。国連会議では普通、拍手はしません。しかし、採択直後、議場が総立ちとなり大きな拍手と歓声に包まれました。歴史が動く音がするように感じました。

 採択後、志位委員長とともにホワイト議長の席に行くと、「第一、第二会期とも熱心に参加していただいて感謝します」と言われました。会議の成功へ一つ貢献できたことを、被爆国の党の代表としても被爆2世としても大変誇りに思っています。
 できあがった条約は、世界の英知を集め、70年間の取り組みが集約されています。現時点で考えられる最良の内容だと思います。

 まず条約の「考え方」が書かれた前文です。核兵器の非人道性を明確に書き、核兵器は、国連憲章、国際法、国際人道法に照らして違法であるという太い論理が示されました。被爆者が一貫して訴えてきた「非人道性」が国際社会の共通認識になりました。そして画期的なことは「被爆者」が被害者、そして新しい時代をつくるクリエイターとして2カ所に書き込まれたことです。

 次に、第一条、条約の心臓部です。核兵器の「開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵、移転」のすべてを禁止しました。そして、「使用の威嚇」、つまり、「核抑止力」論も否定し、「核の傘」もそれに入ることも禁止しました。非保有国への核持ち込みも禁止し、あらゆる点で抜け穴を無くしています。

 第4条では核兵器の「完全廃絶」に向けて、ただちに廃棄、廃棄計画を明確に示してから参加するという2つの道を示し、核保有国の参加に広く門戸を開いています。第6条で、初めて被爆者の援助が書き込まれました。これは、「いかなる状況でも再び使われてはならないという決意」(議長)を示したものです。
 条約採択に向けては、被爆者の訴えが世界の人々を動かしました。オーストリア政府代表は、被爆者の話を聞いて、「危険性について非常に過小評価していたことを学んだ、だから、私たちはここにいる」と言いました。

 もう一つ強調したいのは、日本の草の根の運動が果たした役割です。第一会期に志位委員長が議長との懇談で、ヒバクシャ国際署名が170万人分に達していることを報告すると、議長は両手を胸にあて「それは私にとって強さを与えてくれるものだ」と語りました。一つひとつの署名、一枚一枚のビラ、平和行進での一歩一歩、が大きな力となって国際社会を動かしたのです。

 条約採択を大きく報道しなかったマスコミの反応も変わりました。8月6日の広島、9日の長崎の平和式典では、安倍総理は条約に一言も触れない中、被爆者と総理の懇談で「満腔の怒りをもって抗議する」(広島)、「どこの国の総理か」(長崎)と被爆者が述べ、大きく報道されました。8月6日、広島市での街頭宣伝で志位委員長が、「こういう政治が続くなら、禁止条約にサインする政府に変えよう」と訴えると、大きな拍手が起こりました。

 条約は50カ国の批准で発効し、9月20日から各国の署名手続きが始まります。世界の人々と連帯し、条約に署名させる政治の流れを共に作りましょう。

(写真=報告する井上参院議員)

(「週刊京都民報」8月27日付より)