戦争と平和を語るつどい 「みむろ九条の会」は4日、宇治市の三室戸北集会所で、「戦争と平和を語るつどい」を開き、33人が参加しました。今年は広島・長崎の被爆から68年。「もう二度とくり返さないで」の思いを込めて、開催されました。
  「憲法九条、五月晴れ」の作詞・作曲者の廣岡明郎さんのピアノと語りで、「青い空は」「故郷」などを合唱。長崎で被爆して亡くなった少女のお話「ふりそでの少女」が、大型紙芝居で上演されました。少女の無念さ、その母の無念さに参加者の目に涙があふれました。
 地元在住の2人が戦争体験を話しました。藤井和雄さん(菟道在住88歳)は、卒業目前の1945年1月に軍隊に招集され、その後の8カ月間の兵隊の日常生活を紹介しました。はじめの3ヶ月の兵隊訓練が終わると、“いつ死なせてもいい兵士”(戦争の道具の一つ)だったと述べ、戦争末期で「天皇のために死ぬ」という言葉は聞かれなかったものの、「いかに死ぬかばかりを考えていた。子や孫には絶対体験させたくない」と力を込めて、話しました。
 宮川実さん(五ヶ庄在住80歳)は、日常生活の中で戦争が進んでいった様子を話しました。1年生に入学した1939年は、中国の戦地から叔父の手紙も届いていて、子どもにとっては普段の生活のままだったと言います。1941年、太平洋戦争が始まった時は3年生で、親も子どもも勝ち目のない戦争だと思っていたが、校長先生から「日本は勝ちます」といい聞かされ、その後も「勝った勝った」という話ばかりで、だんだん勝てる戦争だと思うようになったと話します。1944年になると空襲が激しくなり、家族がばらばらになった時、どのようにして親戚の家まで子どもだけで行くかを親に教えられ、実際命からがら空襲をくぐり抜けたと話しました。また、自分が通っていた私学の立派な図書館の蔵書がみんな焼却されたという、戦後の様子の一端も紹介しました。
 つどいの最後に、今年6月23日の沖縄全戦没者追悼式で、小学校1年生の安里有生あさとゆうき君が読み上げた詩「へいわってすてきだね」をみんなで群読して、「もう二度とくり返さない」の決意を固め合いました。(渡辺俊三)