自民党員だが危ぐの念 「戦争放棄」変えてはならぬ

京都府遺族会役員、相楽・木津川市遺族会副会長・樋口國康さん

 私の父・國治は、満州で敗戦を迎え、旧ソ連軍によってシベリアに連行・抑留され、翌年5月に病気で亡くなりました。父を知る引揚者の方によると、腸チフスの激しい下痢が10日ほど続いた後、朝には息を引き取っていたそうです。亡くなった場所は、現在のハバロフスク地方ユダヤ自治州クリドールという町です。
 1992年から5年続けて、遺骨収集に参加しました。父が眠るかつての草原は白樺の森となっていました。遺留品などから父と判明する遺骨は収集できませんでしたが、5年目の96年、帰国すると妻が「お父さんが大きな荷物を抱えて帰ってきた夢を見た」というのです。どこかで父に触れることができたのではないかと思い、収集はこの年を最後にしました。
 20年前に、「京都シベリア抑留死亡者遺族の会」(亀井励会長)が発足したのを機に会員となり、地元の小学校などで語り部に取り組んでいます。戦争の記憶が社会から薄れていくなかで、2度と戦争を起こしてはいけないということを子どもたちに伝えたいからです。
 私は自民党員ですが、安倍政権が発足してから、安倍首相や自民党の国会議員が憲法を、に第9条を変えようと公言していることに危ぐの念を抱いています。96条改憲が言われるようになって、改めて憲法を読み直して、9条が「戦争の放棄」という章題であることを意義深く思いました。これはやすやすと変えてもらっては困ります。憲法の問題では自民党員として葛藤も感じています。しかし、東日本大震災を経て、日本の現状は憲法を作り直すことよりも、憲法の精神をしっかり尊重して使いこなすことこそが必要ではないでしょうか。(「週刊しんぶん京都民報」2013年7月7日付掲載)