「いじめ・自殺」を考えるシンポジウムが1日、京都市中京区のラボール京都で行われ、教師や保護者、退職教員ら150人が参加しました。大津市の中学生自殺問題を受け、京都教職員組合など15団体でつくる「子どもと教育・文化を守る京都府民会議」が、いじめ問題の対処や指導の在り方、学校現場の課題などを話し合おうと開いたもの。3人のパネラーの発言要旨を掲載します。

 いじめは人としての尊厳を傷つける重大な人権侵害です。それが本来、人権について、人とのつながりについて、そして民主主義をどうつくっていくかを学ぶ学校で起きている事は二重の人権侵害であると痛感しています。教育行政における子どもの権利という問題では、子どもの権利条約は批准したものの、中身の実践は惨憺(さんたん)たるもので、国連から何度も改善を警告されているにもかかわらず、何もしようとしない。国や教育行政はいじめ問題について「認めない、謝らない、正さない」という滲(し)み付いた体質があると考えています。いじめをなくす取り組みをしなさいと言っても具体的な手当ては何1つ示さずその閉鎖性と管理体制の中で教員を処遇しようとしているのが今の教育行政です。
 この10数年間で、教員の精神疾患による休職者は5倍に激増しています。とくに若い先生が深刻です。そのベースに学校教育で1人ひとりがどのように人とかかわり、どのようにして社会を作り、どのように権利を守って行くか、学べておらず、自分の道を自分で切り開いていけない状況があるのではないかと思っています。校長や教頭からのハラスメントの相談も増えており、これはいじめと結び付いた問題だと考えています。
 小中学生の頃に受けた心の傷は、その時の先生や親、友達の対応がその後の人生に大きく影響します。子どもたちはだれに、どこに相談して自分を守るのか、そのすべを知らない。SOSを受け止めるだけの環境にないことが日本の社会を覆う深刻な問題です。学校のあり方を抜本的に見直し、改革という名の競争と管理主義の流れを変え、子どもが健やかに育つ学校づくりをすることがいじめをなくしていく近道になると思います。(「週刊しんぶん京都民報」2012年9月9日付掲載)