「いじめ・自殺」を考えるシンポジウムが1日、京都市中京区のラボール京都で行われ、教師や保護者、退職教員ら150人が参加しました。大津市の中学生自殺問題を受け、京都教職員組合など15団体でつくる「子どもと教育・文化を守る京都府民会議」が、いじめ問題の対処や指導の在り方、学校現場の課題などを話し合おうと開いたもの。3人のパネラーの発言要旨を掲載します。

 この3月まで中学教師を38年間務めてきました。子どもの行動は常に両価値的に見ないといけないと思っています。問題だと思う行動も成長過程で必要な時もあるんです。子ども同士のいじめに見える行為も時には少年期の子ども社会のルールを維持していくために必要な行為なんです。遊び集団を維持する上でおこるいじめは時にボス退治をすることもあります。
 そんな少年期の発達が今は貧弱になってきている中でいじめ問題が深刻化しています。仲間内でのいじめが迫害へとエスカレートした時、加害の中心になっている子どもの背景に注目すべきです。虐待の体験や能力主義的な親の養育姿勢にさらされてきた子どもは、いじめられている少年の姿に自分を見て、それを打ち消すように暴力がエスカレートしていくメカニズムがあるのではないかと思っています。
 今の子どもたちの中には、支配する側とされる側、抑圧する側とされる側の関係性が日常的に渦巻いています。教師は色々な取り組みを通して配慮し合い、理解し合い、協力し合う関係へ切り替えたいと思うのですが、話し合う取り組みや時間が削られ、朝学習や朝読書、7時間目学習が入れられ、教科指導と道徳の授業が増えているのが実態です。学校は問題を起こさせないために躍起になり、トラブルが起こると、その子ども個人の問題で指導して謝ったら解決したと思っています。
 いじめ問題の解決は、日常の学校生活の子どもたちの関係性にあります。常に解決するテーマとして意識していけば予防できるし、自分たちの問題として乗り越えて行ける材料にもなると思います。教師は子どもたちの関係性の中に問題があることを見抜くトレーニングを積んでほしい。(「週刊しんぶん京都民報」2012年9月9日付掲載)