「いじめ・自殺」を考えるシンポジウムが1日、京都市中京区のラボール京都で行われ、教師や保護者、退職教員ら150人が参加しました。大津市の中学生自殺問題を受け、京都教職員組合など15団体でつくる「子どもと教育・文化を守る京都府民会議」が、いじめ問題の対処や指導の在り方、学校現場の課題などを話し合おうと開いたもの。3人のパネラーの発言要旨を掲載します。

 いじめは小学校1年の2学期から始まりました。きっかけは私の親指を吸う癖を見たクラスの子が「あいつ親指吸ってる。気持ち悪い」と言ったことからです。3年の時、教室の前で友だち数人が話している中に入り、自分の話を切りだそうとした時、「お前の話聞いてへん」と遮られました。周りの子も何も言ってくれず、その頃から自分がどう思われているのか意識するようになり、話すことが怖くなり、学校に行ってもだれとも話さず、笑わず、休み時間も机にじっと座っていました。毎日「死ね」「気持ち悪い」とみんなが私を避けて通っていきました。どうして自分は生まれて来たのか考えるようになり、泣かない日はありませんでした。先生は授業で私へのいじめの事を取りあげてくれましたが、何も変わりませんでした。
 中学校に行っても「死にたい」という気持ちは変わらず、毎晩、リストカットしないと眠れず、精神科の薬を飲まないと昼間は外へ出られませんでした。中2の夏休み前、家の2階から飛び降りました。それからは別室登校になり、みんなと顔を合わせることはありませんでした。定時制高校に行き、初めて「おはよう」と当り前に言える環境になり、すごく楽になりました。先輩と同級生から「何がしたいんや」と初めて真剣な人間関係が求められ、努力したことがきっかけでいじめの体験を客観的に受け止められるようになりました。
 今思い返すと、私と両親の関係が要因だったと思います。私はあの人たちから虐待を受けたと思っています。母親はヒステリックで言うことをきかないとたたいたり、けったりしました。そんな母との関係があり、初めて家庭以外の社会に出た時、いじめの対象にされやすい環境を作ったのかなと思っています。(「週刊しんぶん京都民報」2012年9月9日付掲載)