宮城県の気仙沼七半沢仮設住宅自治会と京都、青森のねぶた愛好会は6日、夏祭りを開催し、暑い夏の夜のひと時を交流しました。第8次支援の後「サマースクール」の取り組みと並行して「青森ねぶた愛好会」のねぶた出陣応援ツアーと七半沢仮設住宅で「津軽三味線」の交流を計画し青森、宮城に発信。気仙沼は、お盆に開催の予定の夏祭りを繰り上げ、青森では、元県連事務局長の小山内さん、愛好会の大沢さんが奮闘して青森民商会員の我慢定光さんに、三味線はお知り合いの木田勇秀栄さんにお願いしました。
 我慢さんは、「鯵ヶ沢甚句全国大会総合優勝」の肩書きの持ち主で民謡と太鼓と語りを担当、三味線の木田さんは、高橋竹山、木田林昌栄の孫弟子になるプロの演奏者で、2人とも何か支援が出来ないか、との思いがあり快諾。それぞれカンパを集めたり、愛好会と医療生協の有志は、折り紙で小さな「金魚ねぶた」を100個、バレーボールより少し小さめ本格的な「金魚ねぶた」を15個も作り、仮設の皆さんにと託しました。
 京都からは15人が参加。「東北の祭と被災地支援交流なんていいのか」という人には「観光でもいい。被災地を自身の目で見て今後の支援の輪が広がることになれば」との現地の思いを話すと、予約していた他のツアーをキャンセルして参加してくれる人もいました。
 陸前高田では、打ち上げられた300トンの漁船や気仙沼市内を案内し、民商事務所で交流。おいしいスイカをいただき七半沢仮設へ向かいました。夕立も上がりすでに夏祭りが始まっていました。海鮮ものやホルモン、焼肉、バーベキュー、かき氷、京都から参加の堀江さんの知り合いが見事なカツオを差し入れ、早速仮設の元気母さん、畠山さんが見事にさばいてくれました。木田さんの三味線と我慢さんの自慢の声で「津軽じょんがら節」をはじめ迫力の三味線で民謡を楽しみました。
 仮設に入って10カ月、七半沢仮設は、気仙沼の中でも、人的被害の大きかったところです。一旦逃げた公設の避難所が津波に襲われ、100人以上の人が流されました。「家族みんな流され自分1人生き残りこの仮設にいます」と語る男性がいました。自治会長の佐藤さんは、奥さんとお母さんを津波にさらわれまだ奥さんがみつかっていません。54戸の皆さんの事も分かっていません。
 京都からの「津軽三味線の夕べ」が発端になり、仮設の住民の中に、お母さんが民謡、息子さんが津軽三味線、娘さんが合いの手と太鼓をする家族がいることが分かり、早速皆さんの前で披露しました。お母さんの民謡は、アンコールを受け息子さんの三味線は、プロの木田さんに「うまいよ」とほめられました。普段は子どもたちが少ないのですが、夏休みでおじいちゃん、おばあちゃんの所に来ている子どもたちも一緒に花火、スイカ割りを楽しみました。
 最後は、みんなが1つの輪になって気仙沼音頭、炭坑節の盆踊り、日々の厳しい生活を忘れさせてくれる一時となりました。その後、気仙沼から届いた便りには、「泣き出したいくらいの悲しい思いを胸に日々頑張っているみんなに、京都からの支援は、大きな力になっています」「被災地にとっていつまでも忘れずにいてもらえる事はなにより」とありました。その思いに応え、10月の第10次支援、気仙沼、東松島への支援を成功させようと取り組みを始めています。(内田公昭)