12月10日に龍谷大学(京都市伏見区)で開催された「原発ゼロ・『京都アピール』講演会」での、安斎育郎・立命館大学名誉教授、飯田哲也・環境エネルギー政策研究所所長の発言(大要)を紹介します。

国民が電力政策を選択

 福島第一原発事故から9カ月を過ぎ、今何が明らかになって、何が見えて来たのか、事故の実態、被害の実態、事故の原因、責任、今後どうすべきか、5つの視点から問うてみたいと思います。

今後の見通しまだ見えない

 事故の実態ですが、事故を起こした原子炉の中のことはよく分からない事態が続いています。大量に溶けた核燃料が原子炉の下に落ちて、原子炉容器とその周りにある格納容器の底も溶かし、最大65センチほど下へ突き抜けていると推定されています。原発事故の最もやっかいなところは、現場を見に行けないということです。1979年3月21日に起こったスリーマイル島原発事故は、核燃料の48%が溶け落ちたと言われていますが、中の様子を見られたのは3年後です。
 今度の福島原発事故は歴史上初めて1つの原子炉が異常を起こしたのではなくて、4つの原子炉が重大な事態に陥ったことです。核燃料が溶けて放射能まみれになっており、つぶさに分かって来るのは10年以上先でしょう。しかし、核燃料がどろどろに溶け落ちて、不定形な形になっており、その形が分かっても、それを取り出す技術は存在しません。技術開発が必要ですが、やっかいなことには関わりたくないと、原子力工学科に行って学ぼうという学生が減りつつあります。54基の原発を止めるにしても続けるにしても原子力技術が衰えていく可能性があり、技術開発ができるかどうかもあやしい。今の原子炉をコンクリート詰めにしてチェルノブイリのような石棺にし終わるのに、政府は30年以上とみているけれども、私は最低50年かかると思います。今度の事故は何十年、何百年というレベルで考えなければならないという事態に直面しており、今後の見通しはまだ見えていません。
 被害には、身体的影響、遺伝的影響、心理的影響、社会的影響があります。社会的崩壊は地域社会の崩壊です。避難先から、いつ故郷に戻れるかも分からない状態です。精神的影響としては、とくに小さい子どもを持つ若いお母さんやお父さんが、とても心配していますが、「過度に恐れず、事態をあなどらず、理性的に怖がる」ことが大切です。
 身体的・遺伝的影響には、確定的影響と確率的影響があります。確定的影響はある一定の放射線量を浴びるとだれにでも起きる急性の放射性障害で、4000ミリシーベルトで半数が1カ月後に、7000ミリシーベルト浴びると全員が死ぬ恐れがあり、広島・長崎では亡くなった方が多かったわけです。福島では、確定的影響で命が失われるには至っていませんが、チェルノブイリ原発事故では、消防隊員31人が確定的影響で命を落としたと言われています。東日本で今後、最大M8クラスの余震を覚悟しなければならず、かろうじて冷却出来ている緊急冷却システムがまた不備をおこし、放射能が出る可能性がないとは言えません。
 やっかいなのは確率的影響です。少しずつ放射線を浴びると、将来白血病になる確率が高くなるかもしれない。放射線を浴びないために徹底的に汚染土を削り取り続けることです。屋根や雨とい、溝等を洗い流す、放射能が降り積もった都市部の里山なども削り続ける。あるいは窓側にロッカーを置く、水を入れたペットッボトルを並べて置き、少しでも放射線を浴びないようにする、そういう放射線防護上の措置を政府や企業だけでなく、自分たちもやる意思を持ち続けることができるかどうか、問われています。

8つの原因構造変えよ

 事故の原因は、技術的な面はある程度分かって来ると思いますが、我々は事故の背景にある政治的、経済的、社会的な原因について追及することが大切です。原発を推進し、破局に至らしめた8つの原因、アメリカの対日エネルギー政策、その政策を忠実な下僕として受け入れて来た日本政府、それを忠実に行ってきた電力資本・産業界、官僚、原子力の専門家たち、マスコミ、立地自治体、原発推進のために作られた住民組織。こうした構造を変えることが大切です。
 私たちは、電力政策を原発依存でやり続けるかどうかを選択しなければいけません。それはエネルギーデモクラシーという、国民がエネルギー政策を自らの責任において選択していく、という国民の主権の問題です。国家として自立的なエネルギー政策を他国に従属することなく、その国の政策を主権者である国民が自ら選ぶ力を獲得していくことが肝心だと思います。(「週刊しんぶん京都民報」2012年1月1日付掲載)