第1部:河川編
 2004年の台風23号水害時、舞鶴市志高でバスが水没した右の写真は記憶に新しく、今後の水害史上永く伝えられる1枚と考えられるが、果たしてこの水害の特徴はどういうものであったろうか。
 最近の風水害では、崖崩れや土石流など土砂災害による死亡例が大半を占め、水死はめずらしくなっているのであるが、この水害では京都府内で亡くなった15人の内、10人の方が水死であった。
 水死が少なくなっているのは、気象予報と情報伝達技術の進歩によるもので、台風情報などが早くから出されて早期の避難・警戒が可能だからである。しかし、バスが水没した国道175号は最悪の事態に至るまで通行止めの措置は取られず、乗客は辛うじて救助されたが、すぐ後ろのトラック運転手は後日水死体となって発見されている。大江町では防災無線が機能しなかったため由良川の水位状況等の情報が伝えられず、由良川沿いの高台にあった民家で、住人が洪水に流され水死している。
 どうしてこのような悲劇が引き起こされたのか。自然現象である洪水の発生は避けられないが、社会の問題である災害は防ぐことができる、とは前回に書いた。結論から言えば、行政の責任、つまり人災と言わざるを得ないのであるが、詳しくは後の回で触れる。
 京都における大きな水害としては、「昭和28年水害」が常に引き合いに出されてきたが、台風23号水害はこれに匹敵するもので、由良川の福知山地点の最高水位は7.55メートルと28年水害時とほぼ同じ高さまで上がっている。一方、降雨のピークから洪水が最高水位に達するまでの時間は極端に短くなっていたのが特徴で、このため逃げ遅れによる被害が増えてしまった。
 出水が速かったのは、台風の前半期に50ミリのまとまった降雨があったこともあるが、人為的要因として、上流部の支川で河川改修が進んでいたことも見逃せない。1983年、土師(はぜ)川がいたる所で氾濫したが、その後復旧事業が一気呵成に進められ、今回は溢(あふ)れることはなく洪水が下流部に集まったわけである。また小河川では、河道がコンクリート三面張りとされることが多く、洪水流下が速くなった影響も大きいと考えられる。
 次回は、由良川の地形・地理的特徴から、水害常襲河川と言われるゆえんを考える。(国土研事務局長・中川学)
「週刊しんぶん京都民報」2011年11月27日付掲載)