1969年8月開始のTBSパナソニック劇場『水戸黄門』は明日が最終回。42年間の放映が終止符を打ちテレビの連続時代劇はなくなる。これは何を意味するのか。時代劇映画の歴史から見れば、1971年の大映倒産時に似た危機的状況だと思う。
 時代劇映画は1908年、京都で生まれた。2年後、水戸黄門を主人公にした最初の映画が尾上松之助主演で公開。講談の『水戸黄門漫遊記』は幕末に出たというから、わずか40年で黄門さまは映画でもヒーローになった。
 時代劇映画のヒーローは大きく二分できる。一つは黄門さまのように、体制側の権力者が、力なき庶民を悪から庇護してくれる。もう一つは体制からはみ出た力ある者、鼠小僧次郎吉のようなアウト・ローたちが私たちに味方して悪と闘ってくれる。
 戦前の時代劇映画はアウト・ローを主人公に、当時の現代の問題に鋭く斬り込んだ。伊藤大輔の『忠次旅日記』三部作(1927)は、勧善懲悪のヒーローだった忠次が逃亡の旅で打ちひしがれる姿を描き、時代の波に翻弄される人間像を浮き上がらせた。現代劇は時代の批判はできても、天皇制自体の否定はできなかった。だが時代劇は可能だった。「昔々の作り話です」と言いさえすればよかったから。戦前の時代劇は、現代劇より現代的だった。

時代への“毒”なくなる

 戦後、タブーは建前上なくなり、時代劇でなくとも現代社会の徹底否定さえ可能になった。戦後の時代劇は、荒唐無稽な話でヒーローの活躍を楽しむか(『眠狂四郎炎情剣』)、生き死の極限にある人間の姿やアクションを楽しむか(『切腹』)、新たな歴史の捉え方を楽しむか(『大奥マル秘物語』)、いずれにせよ時代への毒が取り除かれた。
 一家に一台テレビがあり、時代劇の潜在的な観客が一挙に増えた時代、その状況に積極的に対応できたのは「明るく楽しい東映映画」だった。東映には、大勢の観客が好む明快なヒーローを主人公にした題材が、体制側・反体制側を問わず多くあった。水戸黄門や大岡越前に会うために映画館へ行く必要がなければ、観客はありがたかろう。
 荒唐無稽なヒーローが活躍する時代劇はテレビに移った。中でも体制側のヒーローは「明るいナショナル」にふさわしい。
 いまなぜ「明るい」家電メーカーが「明るい」時代劇を切り捨てるのか。理由はいろいろある。民衆を庇護する体制側の権力者は、『相棒』の特別捜査官や『アンフェア』の美人刑事など、江戸時代でなくても現代社会に大勢いる。1700年に死んだ水戸光圀より『ゲゲゲの女房』の漫画家が親しみ易い等々。
 だが切り捨てられた時代劇の作り手は、将来を考えて暗澹(たん)とするばかりだろう。殺陣師の菅原俊夫は言う。黄門さまは、東野英治郎から里見浩太朗まで5人の俳優が交代したが、代わるたびに俳優のスケジュールが過密になった。その状況を改良せず、過密なスケジュールを縫って撮影を済ませた。これは手抜きではないか。我々が『水戸黄門』をつぶしたのかも知れない。
 殺陣のみか、撮影全体が手薄になれば、当然ながら時代劇の魅力は失せ、あす帯番組から消える。制作本数が減少すれば、後継者は途絶える。時代劇は滅びるのか。
 映画人が深刻になるのは、戦後ずっと時代劇の技術が失われ続けたことを知っているからだ。大映京都の撮影所長・鈴木晰成は、定年制が大きな痛手だったと言った。苦い経験があるから作り手は今後を愁う。失われた技術や秘訣は取り返せない。テレビの連続時代劇が皆無になれば、明治維新を挟んでも受け継がれてきた一つの文化が、ここで消える。大映の倒産を思わせると述べたのは、そうした意味だ。

面白くなるためのチャンス

 『水戸黄門』を多く演出した山内鉄也は、名作『忍者狩り』(1964)を監督した人だった。『水戸黄門』を誇りにし、とても大切にしていた。『水戸黄門』はそういう人が作ってきた。その志は生きているはずだ。だから製作者の胸中に共感しながら、彼らのカツドウ屋魂を、実はわたくしは信じている。
 大映が倒産したあとを思いだそう。「神のような技術」と称えられた大映の技術陣は、雲散霧消していない。『鬼龍院花子の生涯』(1982)は東映京都作品だが、大映京都の西岡善信美術監督と、森田富士郎キャメラマンが制作に参加、苦労のすえ大映の技術は東映京都が引き継ぎ、今日それは京都の時代劇の技術となって信用を得る。
 また「東映剣会」。斬られ役に徹し、殺陣に命を吹き込む技術者集団である。東映剣会が活躍し後続の育成が滞らないのは、撮影所が機能しているからだ。
 東映京都の記録係・谷慶子は「ベテランも若手も時代劇は作りたい」という。撮影所の稼動は、京都の時代劇の唯一の希望なのだ。時代劇の存亡は、京都の撮影所が握る。撮影所の責務はこれほど大きい。『水戸黄門』の終了は時代劇の終了ではない。京都制作の時代劇が、さらに面白くなるためのチャンスだと考えたい。
 芸術は、作り続けるからこそ生まれる。何を作るか。何を作り続けるか。『水戸黄門』の終了は、京都の撮影所にこれを問うている。(「週刊しんぶん京都民報」2011年12月18日付掲載)

 よしだ・かおる 1964年兵庫県生まれ。大阪大学大学院博士課程修了。文学博士。愛知大学および京都精華大学非常勤講師。著書に『銀幕の湖国』『京都絵になる風景』。構成編集に『映画の4日間PART1 中島貞夫映画ゼミナール』、『映画の4日間PART2 中島貞夫映画シナリオゼミナール』ほか。信濃毎日新聞に「映画の目NEW」連載中。