城陽民商被災地支援

 城陽久御山民商(内田公昭会長)は、5回目となる宮城県気仙沼市への支援活動を15~17日まで行いました。
 宮城気仙沼本吉民商の支援として、仮設住宅に支援物資を配布し、民商まつり(うどん販売、アンパンマンスティック風船とお菓子の手渡し)の参加、遺族の方にお仏壇を届ける活動などを行いました。

 15日朝4時45分に久御山町の食堂市番に集合。15人で2トントラックとバス(26人乗り)で宮城県気仙沼本吉民商にむけ、朝5時出発しました。参加者は、城陽久御山民商と八幡民商の会員さんと友達で11人、宇治年金者組合 3人、建築組合1人で、男性12人 女性3人。年齢は、72歳の女性から28歳の男性です。トラックとバスには、支援物資が一杯で、みんな元気に出発しました。
 途中高速道路で、バスの後輪をパンクし、パンク修理。1時間30分かかり、気仙沼本吉民商に予定より30分遅く夜7時30分に到着しました。

 支援物資、畳100枚、お仏壇10、ストーブ62、米274キロ、衣類などを気仙沼本吉民商に引渡しました。現在宮城県の仮設住宅には、畳がついておらず、3月11日の東日本大震災後7カ月の畳なしの生活をされている方が多くおられます。畳をまちきれず、2トントラックの到着に歓声が沸きおこりました。その夜、民商にお礼の電話が何本もかかり、「畳の上で寝られてうれしい」と声が寄せられました
 15日の夜は、天ヶ谷の仮設住宅集会所で宿泊、寝袋で宿泊。

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 16日朝7時雨の中、天ヶ谷仮設住宅集会所で支援物資の配布を行いました。
 物資は、1軒で2品、米10キロは3軒で分け合いました。あと何ヶ所も回るので支援物資を十分に渡せず心残りでした。仮設住宅へは、3班で別れ物資配布を行いました。 朝10時からの民商まつりでは、きつねうどんを200円で販売し320食を完売。京都のうどんは、うまいと喜ばれ、うどんの売上62000円は、支援金として民商にカンパし、内田会長から提案で、子供の笑顔が見たいとアンパンマンスティック風船を、100人の子供にお菓子をつけて無料で、配布。お母さんから、「子供が楽しみにしてきました。」「いまから子供つれてきます」と子供も、お父さん、お母さんも 笑顔、笑顔、笑顔でした。

 被災地の視察は、鹿折、陸前高田を回り、いまだに3月11日から、時間が止まっていると実感しました。海の水が、そのまま水たまりに、5階建のビルの4階までは、窓ガラスもない、瓦礫の山々、陸前高田の1本松7万本のうち、たった1本残った松。
 夕方4時から、気仙沼本吉民商と今回の支援参加者と交流会を行いました。
 秋刀魚の塩焼き、かにだしの団子汁、おにぎり、ビ-ル、で交流。

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 夜7時から天ヶ谷仮設住宅でお仏壇を遺族の方へ手渡しました。
 手渡す時「うちの31歳の嫁が亡くなった」「孫が亡くなり、私が、生き残った」「息子が去年12月19歳同士で結婚し私たちの家族になり1月家族で2人の成人式を祝った。こんな幸せな事はないと思った。3月11日の津波で2人がなくなった」さまざまな思いを聞かしていただき本当に悔しいのと、悲しい思いで、涙、涙、涙でした。
 16日朝2時30分気仙沼を出発し夕方4時に久御山町・食堂市番に帰ってきました。バスの走行距離は、2036キロ。
 城陽久御山民商は、3月末から8月までに4回、食料品、自転車、建築工具など営業再建物資、5トンの漁船を宮城県の民商に届けてきました。5回目の支援活動は、城陽、宇治、八幡、各民主団体に支援の輪が広がり、支援参加者も15人に増え、支援を続ける中で民商への信頼、と震災復興、営業再建への支援強力の輪がひろがっています。
 帰りのバス中では、第6次宮城支援活動について、いつするのか、物資をもっと手渡したかった。仮設住宅へ訪問、相談、対話をもっとしたかった。お仏壇をもっと次回もって行きたい、などなどです。第6次支援については、11月19日(土)20日(日)21日(月)を予定しています。