筋金入りのひねくれ精神

 千之丞さんと初めてお会いしたのは、現在の財団法人京都市文化芸術協会の前身、京都市文化団体懇話会(文団懇)の演劇部会でした。その文団懇の記念イベントとして、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」を下敷きに、西口克己さん原作の「祇園祭」を京都の洋舞協議会が合同で公演(1981年)することとなり、千之丞さんが演出を務め、私もお手伝いさせていただきました。
 舞台での共演は、新劇団協議会の90年の合同公演「天保十二年のシェイクスピア」が最初で最後になりました。私は、「鰤の十兵衛」、千之丞さんは物語の司会進行兼ナレーターの「隊長」でしたので、台詞の掛け合いはありませんでしたが、いい思い出になりました。
 09年には、憲法九条を守るという一点で京都の演劇人・演劇愛好家らに呼びかけて「京都演劇人九条の会」を結成し、千之丞さんが代表、私が副代表となりました。
 千之丞さんの生きる姿勢は一貫していました。文化全般が東京一極集中するもとで、「東京、何するものぞ」というひねくれ精神です。狂言界の中で当時の権威に逆らって、タブーにどんどん挑んで
いく姿は演劇と古典芸能という分野は違えども常に共鳴、共感していました。
 政治革新の分野でも、知事選や京都市長選、国政選挙などで共産党を含め京都の民主的陣営とともに発言する姿には揺るぎない信念を感じました。反権力、反体制は筋金入りでした。(「週刊しんぶん京都民報」12月26日付)