1949年から50年にかけて日本共産党員、およびその支持者を「国家・企業の破壊者」と見なして強制的に追放した事件―レッド・パージ。60年目の今年、不当な事件の真実を語り、名誉回復を訴える人たちの証言をたどります。

旧簡易保険局─おどされても黙秘を貫いた

 1948年に出された「マッカーサー書簡」と芦田均内閣(当時)の「政令201号」により公務員から団体交渉権、ストライキ権が奪われました。その後、49年に公務員が行政整理され、多くの組合活動家が職を奪われました。旧簡易保険局の松ヶ崎支店(京都市左京区)で働き、うたごえ合唱団の活動をしていた清水千鶴さん(85)にも、レッド・パージの魔の手が迫りました。
 50年の秋ごろだったと思います。公務員の任官試験に合格した直後、いきなり解雇を宣告されました。令状もなく、口頭でいきなり「やめてもらうことになった」。納得できませんでした。「私はまじめに働いている。切られる理由なんてありません」と食い下がると、「政令201号が理由だ」とだけ言われました。
 当時はわかりませんでしたが、政令201号は公務員の団体交渉やストライキの権利を禁止したもの。私は給料遅配の問題で組合が取り組んだ署名を手伝ったぐらい。公務員として政令に違反することは何もしていません。むしろ日本青年共産同盟(青共、現在の民青同盟)の仲間と合唱団をつくり、京都中の職場にうたごえ運動を広めることに熱心でした。私に解雇が言い渡されたこの日には、共産党員3人が首を切られました。職場には、多くの共産党の同志がいましたが、前年からの行政整理で組合関係者はすべて追放され、私たちはその唯一の「生き残り」でした。
 翌日、私たちは抗議しようと出社しました。門をくぐったその瞬間、警官に取り囲まれ、あっという間に逮捕、連行されました。理由は「不法侵入」。初めから捕まえる気で待ち構えていたことは明白です。
 その証拠に、尋問では「お前、共産党やろ」と追及してきました。警察官に転官していた元同僚の女性が尋問の場に居合わせて、「この人、共産党員です」と告発しました。青共の事務所に出入りしている私を写した隠し撮り写真も見せられ、「お前、共産党員やと認めろ」と脅されました。私は黙秘を貫き通しました。別の同盟員が逮捕された時、「共産党員の名簿を提出しろ」と尋問されたことを知っていたからです。
 公務員の政治活動、組合活動の自由は、あれ以来ずっと抑えつけられています。公務員の権利を守り、国民の人権を尊重する政治に転換するために、政府はレッド・パージを反省してほしい。足も悪く体力もなくなりましたが、日本の将来のため、国が謝罪するまでたたかいたい。

※マッカーサー書簡と政令201号 GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーは1948年7月22日、芦田内閣に直前に施行された国家公務員法について、公務員の団体交渉権やストライキ権を保有させないように改正することを求める書簡を送った。それにもとづいて政府は同年7月31日、「(公務員は)国又は地方自治体に対しては、同盟罷業(=ストライキ)、怠業的行為(=サボタージュ)等の脅威を裏付けとする拘束的性質を帯びた、いわゆる団体交渉権を有しない」と明記した政令201号を公布・即日施行した。さらに政府は、同趣旨にもとづいて国家公務員法を同年12月3日に改正した。現在も公務員は団体交渉権、ストライキ権を規制されている。