「年越し派遣村」から始まった貧困打開を求める国民の世論とたたかいが政治を大きく動かしています。2010年は参院選の年。「反貧困」を政治の真正面の課題にしようと、「反貧困ネットワーク」代表の宇都宮健児弁護士(63)と、青年・学生らとホームレス支援活動に取り組んでいる日本共産党の成宮まり子さん(40)=参院京都選挙区候補=が対談しました。

うつのみや・けんじ 1946年愛媛県生まれ。69年東京大学法学部中途退学、司法研修所入所。71年弁護士登録。「弁護士、闘う 宇都宮健児の事件帖」(岩波書店)など著書多数。

なるみや・まりこ 1969年滋賀県彦根市生まれ。95年京都市立芸術大大学院美術研究科造形構想を修了。01年参院選、03年・05年総選挙、07年参院選で候補者として奮闘。

目に見える形にしよう

成宮まり子・宇都宮健児

 成宮 はじめまして。09年12月の「反貧困ネットワーク京都」設立集会で宇都宮さんの記念講演を聞きました。今、貧困問題に向き合い、打開しようという機運が広がっていますね。

 宇都宮 はじめまして。私たちが「反貧困ネットワーク」を立ち上げたのは07年10月です。現場で多くの人の相談に乗る中で、日本社会に貧困が広がっていると感じていたのですが、マスメディアや政治の問題として正面から取り上げられることはありませんでした。なんとか貧困を目に見える形にしよう、貧困問題を政治的、社会的に解決する動きを作り出そうと考え、発足しました。
 集まったのは、ホームレスや障害を持つ人、シングルマザー、多重債務者、非正規労働者、外国人労働者、DV被害者などの当事者や支援団体の人たちです。それぞれの問題を抱えていますが、貧困に苦しんでいる点は共通でした。それなら、みんながつながって貧困の実態をアピールしようと。

 成宮 07年の参院選では私も候補者として、「ストップ貧困」を掲げてたたかっていたので、反貧困ネットワークの設立に注目しました。大きな取り組みが始まると感じました。貧困をめぐる世論を動かすきっかけになったのは「年越し派遣村」でしたね。

 宇都宮 ええ、日本社会の貧困に対するとらえ方を一気に変えましたね。リーマンショック後、大企業の派遣切りが相次ぎました。仕事を失うだけでなく、住まいを失い、路上に放り出される人が大勢生み出される状況が目の前に迫る中、反貧困ネットに集まる市民団体と労働組合、弁護士、司法書士が共同しました。大都会の真ん中に派遣村のテントが立ち、貧困の広がりが目に見える形で明らかになりました。これを境に、貧困問題はマスコミにも取り上げられるようになったし、政治の場でも議論され始めました。

 成宮 派遣村を受けて、京都では労働組合や医療機関、市民団体が協力して、炊き出しや衣料品提供、健康相談、生活相談を行う「連帯ひろば」という取り組みが始まりました。
 私自身は、若者の働き方という面から貧困問題にぶつかったと感じています。08年の秋以降、京都でも大きな企業がどんどん非正規労働者の解雇計画を発表する中で、直接企業に出向いて派遣切りの中止や社会的責任を果たすよう求めたり、行政に企業への指導を申し入れてきたんです。同時に、実際に解雇された人の力になりたい!と。そんな時、派遣村にボランティアとして参加した京都の大学生らと一緒に京都駅などに寝泊まりする人たちを支援しようと、毎週土曜夜に炊き出しや生活保護申請の相談を始めたんです。

 宇都宮 私も今一番心配しているのは、一昨年以降失業者が増え、野宿を余儀なくされる人が急増していることです。首都圏で炊き出しに並ぶ人は倍近くに増え、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅君(誠)がやっている「自立サポートセンター・もやい」に相談に来る人は3~4倍になっています。

危機感持ち取り組みを

 成宮 京都の状況も同じです。失業し、寮を追い出されて、路上に出たばかりの若者や、路上が初めてでどうやって寝泊まりしたらいいか戸惑っている若い人や、遠くは北海道や九州からたどりついたという人もいます。結局、派遣切りにあって以降、安定した仕事に就けないでいる人が、路上生活になってしまっています。雇用保険に入っていても、受給期限が切れて無収入になる人が京都府内だけでも1万1600人にも上るといいます。そもそも失業給付が受けられない人も多い。

 宇都宮 支援は緊急課題ですよ。昨年、湯浅君を政府の国家戦略室参与に送り出しました。その結果、ワンストップサービス(注1)が11、12月と全国各地で実行されました。一昨年、政府や自治体がまったく対応できなかったことと比べると、湯浅君の頑張りやこれまでの取り組みが政府を動かしました。

 成宮 11月のワンストップサービスには京都の会場にも130人が訪れました。不十分な点もあるでしょうが、前向きの一歩だなって感じます。というのは、私は、鴨川の橋の下で2カ月間寝泊まりしている人と一緒に参加したんですが、本人は覚えてなかったのですが、雇用保険の記録を調べてもらったら加入記録が見つかり、失業保険が受けられることになりました。その人は、一度は自殺を考えるところまでいったそうですが、一筋の希望が見えたんです。失業給付だけでなく手当つき職業訓練の手当や住宅手当などの支援策を受けられる可能性も出てきて、帰るころには顔つきが変わっていました。こうした行政の取り組みは継続してやってもらわないといけないと思います。

 宇都宮 そうですね。政権全体として今の状況にもっと危機感を持って取り組んでほしいですね。

 (注1)国と地方自治体が協力し、失業者を対象に、仕事や住居探し、生活保護申請などさまざまな相談に1カ所で応じる取り組み。

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社会保障の貧弱なこと

 成宮 今の日本の現状は、欧州の主要な先進国と比べても、雇用や生活を守るルールがあまりにも立ち遅れています。「ルールなき資本主義」ですね。

 宇都宮 そうですね。派遣村の経験から実感したのは、日本の社会保障はあまりにも貧弱だということです。セーフティネットは事実上、生活保護しかありません。その生活保護にしても、保護水準以下で受給できている人は2割以下です。本当にわずかな人しか権利行使できていない。もうひとつは、労働分野の規制緩和です。さかのぼれば中曽根さん(康弘・元首相)の時代に労働者派遣法が導入されて、99年の対象業務の原則自由化、03年の製造業解禁を経て、3人に1人が非正規雇用という状況を作り出してしまいました。

 成宮 京都では若い世代の2人の1人が非正規です。

 宇都宮 社会保障の貧弱さと労働分野の規制緩和、この2つが貧困を拡大する大きな要因だったと思います。ただ、これまでの日本社会では、貧困や社会保障の不備を表面化させない装置として、家族や地域社会のネットワーク、企業の福利厚生などがあり、カバーしてきました。ところが、「構造改革」路線はこうしたものもずたずたに破壊してしまいました。

 成宮 「自己責任」論の広がりも大きいです。路上生活の人の話を聞いて、最初に出てくるのは「自分が悪かったから」という言葉です。「派遣切りにあったのも、器用に仕事をこなせなかったから」とか。生活保護も権利ではなく、“福祉の世話になるなんて”という圧力が強く働くし、貧困の原因に目を向けさせない、おかしいと声を上げさせない重しになっていると感じます。

自己責任と自分責める

 宇都宮 私が30年近く取り組んできた多重債務の問題でも、多重債務者は、みな自分を責めます。当然、家族やまわりからも責められ、自分自身も自己責任だと思い込まされる。
 グレーゾーン金利(注2)撤廃などの法改正を実現するために、日弁連としてドイツとフランスを調査したことがあります。驚いたのは、サラ金やヤミ金がないのです。最初は、同じ資本主義の経済体制なのに、そういう社会があることが信じられませんでした。ドイツ、フランスでは銀行が消費者金融、中小企業金融を低金利で行っていて、銀行で借りられない人にはセーフティネットがしっかりと敷かれている。

 成宮 失業保険や生活保護を必要な人が受けられますよね。

 宇都宮 ええ、セーフティネットがあれば、低所得者が高利貸しに頼らなくてもいいと分かった時、希望が持てましたね。裏を返せば、日本はあまりにも社会保障が貧弱だから、高利貸しに頼らざるを得ず、それが原因で年間7000人が自殺し、10万人の人が夜逃げをする。これは前近代的な社会ですよ。

 成宮 宇都宮さんの本を読みましたが、サラ金業者とのやり取りでは、ずいぶん怖い思いもされたんじゃないですか。脅迫電話がかかってきたりとか、包丁をちらつかせる人がやってきたり。

 宇都宮 最初のころは怖かったですね(笑)。私、柔道も剣道もやっていないですけど、やはり後ろに自分を頼りにしている人がいる思うと、引き下がれない。頑張らねばと思いました。ただ、多重債務者の相談に乗り始めた当初は、「なんでそんな人の手助けをするのか」「借金は自業自得だ。モラルハザードになる」という考えが弁護士の中でも主流でした。私みたいなのは、「サラ弁」と呼ばれました。べっ称ですよ。

 成宮 えー、そんな呼ばれ方をされたんですか。

 宇都宮 はい。でも、こうした中で被害者が立ち上がり、実態を告発し始め、世論やマスコミも構造的な問題、社会問題だととらえるようになりました。グレーゾーン金利を撤廃した06年の改正貸金業法施行後、内閣府に多重債務者対策本部が設けられ、全都道府県に弁護士会と司法書士会、被害者団体の入った対策協議会ができました。今多重債務に苦しむ人を掘り起こし、救済する活動を税金を使ってやっています。本当に隔世の感があります。

 成宮 世論が熱く盛り上がれば、一気に変わる時がありますね。私たちは、「ルールある経済社会」をつくると言っているのですが、欧州の主要国で既に実施されていたり、国際条約の形で確立されているルールを踏まえて、日本の現状にふさわしい形で具体化していくことが日本社会や経済の健全な発展にもつながると思います。

 (注2)利息制限法の上限金利(元本額により年15~20%)と出資法の上限金利(年29.2%)との間の金利。多重債務問題の温床となっていました。

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「自己責任」と思わせる

 宇都宮 今の貧困には、「関係の貧困」もあります。頼れる家族や友人もなく社会的に孤立してしまう。この間の「構造改革」路線が人間関係をずたずたにしてきた結果です。人間のつながりや支え合い、思いやりの関係を断ち切り、孤立化させて最後は「自己責任」と思わせたところが一番の問題かもしれません。労働者派遣法の改正など制度の改革も当然必要ですが、原点は人間のつながり、連帯を復活させることが貧困打開の大きな基礎になると思います。

 成宮 同感です。京都駅での活動を通して、この1年近くの間に30人以上の方の生活保護申請を支援してきました。当初は申請自体もなかなか大変で、申請できればそこで終わっていましたが、その後、受給できた人から「いつまでも仕事を見つけられず困っている」「ひとりぼっちでは頑張れない」という相談が入るようになりました。いま、そういう人たちが「反貧困ボランティア」に帰ってきているんです。路上から“脱出”して、今度は支援する側になって、生きがいや人のつながりを見つけて、人間関係の回復に踏み出していっています。本当にうれしいです。
 やっぱり、人間らしい生活を取り戻そうとか仕事を見つけようという意欲、前向きに頑張ろる気持ちはひとりでに備わるものではなくて、居場所があって、人間同士の関係の中で励まし合いながら培われていくものなんですよね。「構造改革」路線がばらばらに断ち切ってきた人間への信頼を取り戻すことが政治や社会の仕組みを変える力になるんだと感じます。

 宇都宮 そうですね。多重債務問題では「被害者の会」ができたことが大きかった。周りから責められても、そこの場では温かく受け入れてくれ、いろいろ話すうちに取り立ての理不尽さや高金利の問題などにも気づき、自らの境遇を告発できるようになります。そういう当事者の集まりは、自己責任論を乗り越える反貧困の大切な取り組みのひとつだと思います。

 成宮 当事者たちの立ち上がりとともに、貧困問題に正面から向き合おうとする若い世代が広がっていることはすごいと思います。「反貧困ボランティア」の活動の中心も大学生です。自身も高学費やアルバイト、「就活」で大変なのに、それでも社会の現実を知り、人の役に立ちたいといって頑張っている姿に、阪神大震災の時をほうふつとさせるようで、本当に励まされます。

 宇都宮 若い人たちの間で、地に足をつけた新しい社会運動が広がっていることは心強いですね。
 反貧困ネットワークは京都の設立で18都道府県になりました。10年は全都道府県につくりたいですね。ネットワーク自体が「関係の貧困」を解消する場になるし、当事者の思いを受け止めて、政府や自治体にアピールすることができます。

 成宮 昨年、年越し派遣村から始まった、「反貧困」の世論とたたかいは“政権交代”という政治を動かす力になりました。この力をもっともっと前に進めて、貧困のない社会を実現するところまで動かしていきたいですね。

 宇都宮 ええ、私たちが求めていた貧困率の測定は実現しましたが、肝心な貧困率の削減計画は示されていません。今こそ運動が重要ですね。

 成宮 京都でも国民の要求にこたえて政治を動かしていきたい。なにより、貧困を打開し、雇用、命と暮らし、営業を守る仕事を国会でやりたいと思います。

 宇都宮 政権交代は、「構造改革」路線への国民の怒りが爆発した結果でした。さらに政治を前に進めるために、10年は大事な年になりますね。ぜひ頑張ってください。

 成宮 ありがとうございます。国民の力で政治が変わったといえる年にするために頑張ります。